Landscapes by the roadside

路傍学会


塚のLandscape 60

松戸市新松戸 大谷口新田稲荷神社
   大谷口新田稲荷神社①
 松戸市新松戸七丁目の路傍、大谷口新田稲荷神社である。境内には枝振りの良い黒松が何本も生えている。
  大谷口新田稲荷神社②
 3基の大師像の隣には首の無い地蔵尊が祀られていた。
  大谷口新田稲荷神社③
 社殿の右奥には富士塚がある。高さは1.7mほどで、昭和25年に築かれたものという。
  大谷口新田稲荷神社④
 手前の水の枯れた池には弁財天が祀られ、その奥には大山阿夫利神社の碑が見える。
  大谷口新田稲荷神社⑤
 山頂には富士浅間神社の石碑が建つ。その右にあるのは大黒天像が彫り込まれた甲子講中碑である。これは豊作祈願につながるものだろう。
  大谷口新田稲荷神社⑥
 登山道の途中にはいくつもの力石が納められている。
  大谷口新田稲荷神社⑦

 神社の隣の公園では六地蔵が往来を静かに見守っていた。

 3回にわたって松戸市内の江戸川沿いの新田にある稲荷神社を報告した。新田ごとに稲荷社を勧請して、倉稲魂命を祀ったものである。いずれも豊作を願う村人の強い思いが伝わってくる神社であった。
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塚のLandscape 59

中央区湊 鉄砲洲稲荷神社(その2)
   鉄砲洲稲荷神社①
 中央区湊一丁目の路傍、鉄砲洲稲荷神社である。この神社は2014119日号で取り上げている。その時、御鎮座1180年を祝う平成の大改修が計画されていることを報告した。富士塚の一時撤去後の復元が3月に終了したと聞いたので再び訪れた。
  鉄砲洲稲荷神社②2014
 これは201411月の姿。
  鉄砲洲稲荷神社③
 整備を終えた富士塚である。塚の山頂には末社「鉄砲洲富士浅間神社」が鎮座しているのは同じである。富士塚の周囲をぐるりと廻れるように舗装された。
  鉄砲洲稲荷神社④2014
 これも3年前の富士塚である。
  鉄砲洲稲荷神社⑤
 現在の富士塚である。江戸時代の講碑などは残したまま、再築された形である。塚の後ろも通れるようになり、その分、塚が小さくなったか。
  鉄砲洲稲荷神社⑥
 胎内窟も以前と同様に復元されている。一度撤去して積み直したようだが、以前の雰囲気は損なわれていない。末永くこの姿が保たれることだろう。
  鉄砲洲稲荷神社⑦
 富士塚の手前には2基の力石がある。それぞれ30貫で、それぞれに享保年間の年号が読み取れる。
  鉄砲洲稲荷神社⑧
 鳥居脇の狛犬は小首をかしげて可愛らしい仕草で参拝者を迎えてくれる。皇紀2600年記念の奉納である。
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塚のLandscape 58

大田区本羽田 羽田神社
   羽田神社①
 大田区本羽田三丁目、産業道路の路傍、羽田神社である。
  羽田神社②
 一の鳥居を通ると今上天皇の生誕を記念する国旗掲揚塔がある。在郷軍人会、青年団が昭和10年に建立したものである。
  羽田神社③
 手水鉢である。この神社は牛頭天王を祀ったことが起こりであることから、牛頭天王にあやかり牛の口から水が出ている。
  羽田神社④
 中央の石碑は石鳥居建立の寄付をした方々の名前を記したものである。その手前にある石は力石であろう。文字も見えるが判読できない。
  羽田神社⑤
 社殿の左奥には富士塚がある。
  羽田神社⑦
 「羽田富士」と呼ばれるこの塚は、明治初年に築造されたもので、大田区内で唯一の存在である。大田区指定有形民俗文化財。近年まで71日の山開きには、この塚に羽田富士講の講員が登詣していたが、崩落の危険があり今は登ることができない。塚の正面や参道の左手にも力石がある。
  羽田神社⑧
 山頂付近である。高さは4mほどか。清々しい風が吹いていた。
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塚のLandscape 57

新宿区新宿 花園神社
   花園神社①
 新宿区新宿五丁目の路傍、花園神社である。大酉祭である。一の鳥居前、参道入口に沢山の提灯が掲げられている。
    花園神社②
 ビルの谷間にある靖国通りの参道入口にも、参道の幅一杯に提灯が掛けられている。訪れたのは二の酉の前日の午後であった。
  花園神社③
 靖国通りの歩道である。様々な屋台がびっしりと並んでいる。
  花園神社④
 境内では酉の市の縁起物の熊手が売られている。色々な色があふれている。
  花園神社⑤
 境内には所狭しと飲食スペースも設けられている。手水舎の周りもご覧の通りで、身を清めるのも窮屈である。
  花園神社⑥
 伝統的な暦を買い求めている人もいた。
  花園神社⑦
 境内で露店が途切れているところがある。
  花園神社⑧
 露店の間の先にある芸能浅間神社である。左にある社号標は歌手の八代亜紀さんが奉納したものである。高さ1.5m程の塚の上には浅間神社の石祠が鎮座している。花園神社の富士塚「新宿富士」は昭和3年に築造され、昭和42年に現在地に移設されたという。
  花園神社⑨
 塚前にある手水鉢である。鳥が水を汚さないように金網でガードされている。玉垣には落語家など芸能人の名前が並んでいた。今年は三の酉がある。1130日にも大酉祭が開かれる。
  花園神社⑩
 訪れた時刻には境内裏手にあるゴールデン街はまだひっそりとしていた。外国人の二人連れが飲み屋の看板を興味深げに眺めていた。
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塚のLandscape 56

大田区西蒲田 女塚神社
   女塚神社①
 大田区西蒲田六丁目の路傍、女塚神社である。
  女塚神社②
 鳥居をくぐり、境内に入ると、愛子内親王殿下御誕生記念の国旗掲揚塔の先、一段高くなった塚上に小社が置かれている。女塚霊神の塚である。
  女塚神社③
 傍らにある「女塚古墳の由緒」碑である。新田義興憤死のおり、侍女であった少将局が忠節を尽くしてともに害せられたのを村民が憐れみ、この地に祀ったという。この塚は八幡社が遷座する以前から村民の崇敬の厚い聖地であり、この辺りは昭和42年までは女塚と呼ばれていた。
  女塚神社④
 社前の手水鉢である。寛政年間に奉納されたもの。明治時代に八幡神社が鉄道建設の為にここに遷座し、女塚神社と呼ばれる以前に奉納されたものである。
  女塚神社⑤
 社にはこんな札が掛けてある。新田義興への少将局の愛か。
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