Landscapes by the roadside

路傍学会


門のLandscape 36

三鷹市井の頭 井の頭弁財天黒門
   井の頭弁財天①
 三鷹市井の頭四丁目の路傍である。目の前にあるのは笠木が反った明神鳥居かと思いたくなるが、これは井の頭弁財天の参道入口の門「黒門」なのである。
  井の頭弁財天②
 黒門の左手に建つ石柱である。「神田御上水源 井の頭弁財天」と刻まれている。井の頭弁財天への道標なのである。右側面には「是より社まで一丁半」とある。この参道は長さが一丁半あるということになる。2段の台石には、劇場や俳優の名が刻まれている。
  井の頭弁財天③
 すぐ隣にある小さな祠には大黒天の石像が祀られていた。
  井の頭弁財天④
 参道を進むと前に大盛寺が見えてくる。画面右手前に見える石灯篭の先右側に弁天堂に至る石段がある。右の石灯籠は文化年間に奉納されたもので、台石には「両国講中」とある。
  井の頭弁財天⑤
 石段の上から見た弁天堂である。木立で見にくいが、太鼓橋の向こうに赤い社が見える。
  井の頭弁財天⑥
 上の図は江戸名所百景「井の頭の池弁天の社」(部分)である。太鼓橋と社の位置関係は今と同じように見える。
  井の頭弁財天⑦
 社殿の脇の宇賀神である。以前は大盛寺の門前の「井之頭弁財天石鳥居講中」碑の上に据えられていたが、近年、現在地に移された。
  井の頭弁財天⑧
 「井の頭」という名称は三代将軍家光によって名づけられたものと伝えられ、自ら小刀で弁財天の傍らの辛夷の木に「井頭」と刻んだとも伝えられる。上の写真は、その伝承を記した石碑である。この碑の近くには、地元ロータリークラブから寄付された辛夷の木が植えられているが、生育状態はよろしくない。
  井の頭弁財天⑨
 外来魚の駆除と水質の改善を図るため、井の頭池では「かいぼり」が行われており、水が抜かれている。3月初旬まで池干しが続けられるという。
  井の頭弁財天⑩
 訪れた日(211日)には井の頭公園の西園で、オリンピアンを招いて東京2020ライブサイトin2018が開催されていた。
  1. [ edit ]
  2. / trackback:0
  3. / comment:0

門のLandscape 35

越谷市越ケ谷 天嶽寺
   天嶽寺①
 越谷市越ケ谷の路傍、天嶽寺の参道入口である。1029日号で報告した越ケ谷久伊豆神社に隣接している。
  天嶽寺②
 入口の右手に庚申塚と呼ばれる小高い塚がある。塚の上には6基の青面金剛が祀られていた。
  天嶽寺③
 塚の裏側である。塚は強固な石垣に支えられている。
  天嶽寺④
 塚の下に建つ「猿田彦大神」の下方には「南こしかや(越谷) 北のし間(野島) い王つき(岩槻)」とあり、道標であったことがわかる。
  天嶽寺⑤
 参道の先に現れる黒門である。
  天嶽寺⑥
 4代の住職が天皇の皇子であったことから菊の紋章が屋根に付いている。
  天嶽寺⑦
 黒門の先にある赤門である。門前には狛犬がいる。この門は幕府から寺領高15石が寄進された時に建立が許されたものという。
  天嶽寺⑧
 梁の上から門を通る参詣者を見下ろしているのは赤鬼か。
  1. [ edit ]
  2. / trackback:0
  3. / comment:6

門のLandscape 34

越谷市蒲生本町 清蔵院
   清蔵院①
 越谷市蒲生本町、茶屋通りの路傍である。清蔵院の本堂が見える。
   清蔵院②
 茶屋通りに入り、入口に向かう。冠木門である。
  清蔵院③
 冠木門をくぐると山門が見えてくる。
  清蔵院④
 龍に金網がかぶせてある。この龍は、巷間では左甚五郎の作といわれている。夜な夜な門を抜け出して付近の畑を荒らすことから閉じ込められてしまったのである。この山門は越谷市指定有形文化財。
  清蔵院⑤
 大師堂の前にある石仏である。どのような意味があるのだろうか。地獄から衆生を救う地蔵尊なのか。
  清蔵院⑥
 山門にはこのような貼紙がある。最近このような紙を貼る寺社が増えている。
  清蔵院⑦
 冠木門近くにある工務店の看板である。Good sense ! 
  1. [ edit ]
  2. / trackback:0
  3. / comment:0

門のLandscape 33

草加市神明 東福寺
   東福寺①
 草加市神明一丁目、旧日光街道の路傍、東福寺の参道である。
  東福寺②
 御影石の門柱の上にはひびの入った碍子がある。かつては電燈でも付いていたのだろう。
  東福寺③
 山門である。桟瓦葺の四脚門である。草加市指定有形文化財。
  東福寺④
 各所に見事な彫刻が施されている。後藤常重の作である。
  東福寺⑤
 山門をくぐると左手に供養塔、地蔵尊と並んで青面金剛が祀られている。ショケラ持ちの六臂の剣人像である。側面には享保年間に造立され、弘化年間に再建されたと彫ってある。その120年ほどの間に何があったのだろう。路傍学会の興味は尽きない。
  東福寺⑥
 首を捩じり、邪鬼はもがいている。水木しげるが描く「大かむろ」を連想させる。二鶏は三猿の下に彫られている。
  東福寺⑦
 重軽不動明王である。参拝前にこの不動明王を持ち上げ、次に願いを込めて参拝してから持ち上げ、前より軽く感じられれば、願いが叶うという。201541日号で報告した東京・北区の王子稲荷神社にある「御石様」と同様に、軽重で願い事の成就を占うものである。
  東福寺⑧
 旧日光街道の路傍に鋼材で補強された石柱がある。明治44年に埼玉県が設置した道路元標である。千住、越谷など各地への距離が記されており、道標としての機能を持っている。道路の反対側には草加宿の本陣跡を示す石碑が建っていた。この辺りが草加宿の中心地であったのだろう。
  1. [ edit ]
  2. / trackback:0
  3. / comment:2

門のLandscape 32

文京区後楽 小石川後楽園唐門小石川後楽園①
 文京区後楽一丁目の路傍、小石川後楽園前である。小石川後楽園は、京都の金閣、銀閣と同様に、特別史跡かつ特別名勝に指定されている全国でも数少ない文化財庭園の一つである。
小石川後楽園②
 水戸光圀が完成させた天下の名園だが、庭園に一歩足を踏み入れると目の前に鯨の腹のようなドーム球場の屋根が見え、左手には文京区役所、右手にホテルが聳えている。
小石川後楽園③
 気を取り直して庭園を歩くと、菖蒲田では花菖蒲がちょうど見頃であった。来園者の皆さんが熱心に写真を撮っていた。
小石川後楽園④
 今回、この庭園を訪れた目的はこれである。東京都は2020年を目指して戦災で焼失した唐門の復元に取り組んでいるのである。
小石川後楽園⑤
 内庭からみた調査地である。緑のフェンスの内側で調査が行われている。石橋を渡った先が唐門のあった場所である。
小石川後楽園⑥
 唐門の基壇部分では慎重に発掘調査が進められていた。
小石川後楽園⑦
 この石垣の上には脇塀が復元されるのだろう。
小石川後楽園⑧
 昭和13年に撮影された焼失前の唐門である(東京都公園協会所蔵)。それは見事な彫刻が施されていたという。
小石川後楽園⑨
 木曽川から続く延段である。この先に唐門が建つ。どのような姿で蘇るのか。彫刻はどうなるのか。彩色はどうか・・・ 路傍学会の興味は尽きない。
  1. [ edit ]
  2. / trackback:0
  3. / comment:0

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY>>


プロフィール

路傍学会長

Author:路傍学会長
路傍学会へようこそ!
 東京東部を拠点として、路傍の風景について学際的に考察するブログです。

路傍学会訪問者

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

QRコード

QR

« 2018 02  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -