Landscapes by the roadside

路傍学会


神社のLandscape 165

船橋市宮本 意富比神社(船橋大神宮)
   船橋大神宮①
 船橋市宮本五丁目の路傍、意富比神社、通称船橋大神宮の一の鳥居が見える。
  船橋大神宮②
 長い参道の入口近くの制札である。各位としては「はい」と答えざるを得ない筆致である。
  船橋大神宮③
 境内の土俵である。祭の奉納相撲は徳川家康の上覧相撲に起源をもつという。
  船橋大神宮④
 右下に見える鳥居は天之御柱宮、その左にあるのは戦没者慰霊塔である。その上に楼閣が見える。
  船橋大神宮⑤
 先ほどの楼閣である。説明板によると「灯明台」とある。東京湾を行き来した船の安全を見守った灯台である。慶応4年の戊辰戦争で焼け落ち、明治13年に再建されたものである。千葉県の文化財に指定されている。
  船橋大神宮⑥
 摂社の常盤神社である。
  船橋大神宮⑦
 徳川家康を祀り、船橋の東照宮とも呼ばれているという。この社殿も戊辰戦争で焼失したが、平成27年に再建された。
  船橋大神宮⑧
 家康の歯を納めた家康木造が安置されており、東照宮と呼ぶに相応しい造りである。
  船橋大神宮⑨
 鮮やかに彩色された魚の彫刻が蟇股に付いている。
  船橋大神宮⑩
 一の鳥居前の喫茶店でナポリタンを食べて帰途に着いた。
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塚のLandscape 64

松戸市下矢切 矢喰村庚申塚   矢喰村庚申塚①
 松戸市下矢切の路傍である。小高い塚の上に石像が見える。 矢喰村庚申塚②
 地蔵尊、青面金剛、馬頭観音などが建ち並ぶ「矢喰村庚申塚」である。現地の碑には、この地域が北条氏と里見氏による国府台合戦の主戦場となり、家は焼かれ田畑は荒らされ、女子供は逃げまどい、男どもは人足に狩り出された。この塗炭の苦しみから弓矢を呪うあまり「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれ、江戸時代中期に二度と戦乱のないよう安らぎと健康を願い、庚申仏や地蔵尊に矢喰村と刻み、朝夕お祈りをしてきたと記されている。
  矢喰村庚申塚③
 中央に青面金剛を主尊とする、庚申塔がある。寛文8年の銘があり、昭和63年に松戸市の有形文化財に指定されている。
  矢喰村庚申塚④
 高さ2mに及ぶ大型の六臂の剣人像である。
  矢喰村庚申塚⑤
 青面金剛の隣の如意輪観音である。ゆったりとした構えである。
  矢喰村庚申塚⑥
 近くの矢切神社の大棟には雄々しい龍がいる。漆喰製だろうか。
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神社のLandscape 164

船橋市東船橋 茂侶神社
   茂侶神社①
 船橋市東船橋七丁目の路傍、茂侶神社の参道入口である。両側の樹木は柏槇だろうか。参道の入口に植えられるのは珍しいのではないか。
  茂侶神社②
 長い参道が続いている。
  茂侶神社③
 参道の途中のお宅の玄関脇に国旗掲揚塔があった。建立年は風化が進みわからない。
  茂侶神社④
 参道はいくつかの石段を経て徐々に上がっていく。ようやく社殿が見えてきた。
  茂侶神社⑤
 平成28年に再建された鳥居に掛かる以前からの石扁額である。読みにくいが延喜式内茂侶神社とある。茂侶神社は千葉県内に三つの論社がある。路傍学会では、これまで松戸市、流山市にある茂侶神社を報告してきた。今回の報告が三番目の論社となる。松戸、流山の茂侶神社は大物主命を主祭神としているが、ここ船橋では木花咲耶姫を祀っている。拝殿に掲げられていた茂侶神社縁起には、西北に神泉「天の真名井」があると記されていたが、気づかなかった。
  茂侶神社⑥
 社殿の裏手に庚申塔などが並んでいた。慶応年間の庚申塔である。三猿はすっぽり小さく収まっている。
  茂侶神社⑦
 並んでいた碑である。
  茂侶神社⑧
 近づいてみるとこのようなものが線刻されていた。これは何だろう。
  茂侶神社⑨
 裏参道である。クチナシの香りが漂っていた。
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門のLandscape 39

港区高輪 承教寺
   承教寺①
 港区高輪二丁目の路傍、承教寺の山門である。さらに奥には仁王門が見える。
  承教寺②
 山門へと足を運ぶと、手前には狛犬に似て、狛犬ともちがう奇妙な石像がある。参道の左手のものである。
  承教寺③
 右手の正面である。これは、「件(くだん)」と言うらしい。牛から生まれ、人間の言葉を話し、発する予言は必ず当たると言う。
  承教寺④
 仁王門である。梁間四間桁行二間、瓦葺き総朱塗りである。
  承教寺⑤
 大棟の鬼瓦である。鬼の角は取れてしまった。角が生えていた所に穴が空いている。
  承教寺⑥
 江戸名所図会に描かれている承教寺である。延享2年、青山六道の辻あたりから出た火が、折からの風にあおられて青山、麻布、白金、高輪、品川と燃えた「六道火事」によりこの寺の本堂等も焼失したが、山門 仁王門 鐘楼は難を逃れている。
  承教寺⑦
 本堂である。大火後の天明元年に建立されたものである。虹梁の上には見事な彫刻が施されている。
  承教寺⑧
 これは虹梁右上の虎と梅である。
  承教寺⑨
 本堂の横には美しい入母屋造りの屋根が3段に続いている。本堂の前には英一蝶の墓があった。
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界隈のLandscape 17

港区高輪 高輪一丁目~三丁目界隈  高輪①
 港区高輪三丁目の路傍、高輪教会である。自由学園明日館を思い出させる正面の切妻面だと思っていたら、設計者はライトのアトリエで学んだという。
  高輪②
 ライトの流れを汲みつつモダニズムを感じさせる建築物である。
  高輪③
 高輪教会の前にあるバス停から見渡すと、クリーム色の磁器タイルに覆われた高輪消防署二本榎出張所が見える。昭和8年に建てられたもので、今も現役である。
  高輪④
 曲面をモチーフにしたデザインで、コーナー部3階には円形講堂があり、その上に鉄筋コンクリート造りの望楼がある。
  高輪⑤
 車庫には古い消防車が展示されていた。昭和16年製である。空襲火災の消火にも活躍したのだろう。
  高輪⑥
 消防署近くのテーラーである。落ち着いた佇まいである。今も営業をしているのだろうか。
  高輪⑦
 高輪一丁目にある丸山神社の境内社、通力稲荷の手水鉢である。願主は車力の半蔵さんである。大八車を引いていたか。文政年間の奉納。
  高輪⑧
 高輪一丁目の路傍である。城郭を思わせる意匠の和菓子店である。
  高輪⑨
 煙突の文字はタイルのモザイクのようである。数年前に営業は終えたとのことだが、名物の懐中汁粉を口にしてみたかった。今も使われている歴史的な建物がある一方、営業を終える老舗もあり、この界隈の街並みもゆっくりと変わっていくのであろう。今回報告した高輪界隈は、東京の街並み事情に詳しい池上氏に案内いただいた。
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  2. 界隈
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青面金剛のLandscape 200

台東区根岸 西蔵院
   西蔵院①
 台東区根岸三丁目の路傍、西蔵院の山門である。薬医門形式の山門である。 西蔵院②
 境内側から見た山門である。新旧の部材を組み合わせて再建されたようである。
  西蔵院③
 本堂の左手に庚申塔が並んでいる。この中に青面金剛が祀られている。
  西蔵院④
 右手に羂索、左手にショケラを持つ、六臂の青面金剛である。折れて、欠損部分はセメントで丁寧に補修されている。欠損部分に造立年などが記されていたのであろう。
  西蔵院⑤
 邪鬼と三猿である。邪鬼は苦悶の表情を浮かべ、三猿は行儀が良い。
  西蔵院⑥
 山門前に根岸小学校発祥之碑がある。明治7年、この寺の庫裏に「根岸学校」が開設されたという。現在の校舎は尾竹橋通りに面したところにある。行ってみた。
  根岸小⑦
 尾竹橋通りの歩道橋から見た根岸小学である。庚申塔が並んでいるではないか。
  根岸小⑧
 三基の庚申塔である。手前の祠は施錠され、中の様子を伺うことはできない。
  根岸小⑨
 校舎の壁に取り付けられている昭和3年に奉納された額である。猿田彦大神、観世音菩薩とある。祠に納められているのはこのどちらだろうか。路傍学会の興味は尽きない。
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  2. 青面金剛
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門のLandscape 38

中央区浜離宮庭園 浜離宮恩賜庭園
   浜離宮①
 港区海岸通りの路傍である。水路を挟んで左手に見えるのは浜離宮恩賜庭園の緑である。浜離宮恩賜庭園については20161231日号で大手門を報告しているが、今回報告するのは、水路の先にある浜離宮のもう一つの門である。
  浜離宮②
 中の御門橋を渡ると桝形がある。
  浜離宮③
 桝形を塞ぐのが中の御門である。大柱はケヤキ赤身無節、その他の木材は桧赤身無節材で、金物、釘等はすべて手造り打ち出しによるものという。20063月竣工。桝形を抜け、園内に入る。今回、浜離宮を訪れた目的は・・・ 
  浜離宮④
 これを見るためである。この春復元工事が完了した「鷹の御茶屋」である。
  浜離宮⑤
 これは宮内庁宮内公文書館が所蔵する明治から大正頃の鷹の御茶屋の写真である。こうした資料を参考にして、江戸時代の鷹狩りの待合い、休憩所として忠実に復元された。
  浜離宮⑥
 茶屋の後ろには将軍が狩りに用いる鷹を飼育する鷹部屋も復元されている。海外からの来園者が熱心に写真を撮っていた。
  浜離宮⑦
 これは将軍が休む上段である。
  浜離宮⑧
 軒下の竹の切り口の穴も一本一本丁寧に塞がれている。芸が細かいのである。
  浜離宮⑨
 汐入の池周りにはこれまでに整備された「中島」、「松」、「燕」と合わせて四棟の茶屋の姿がそろった。ようやく戦前の池周りの姿に戻ることができたのである。当時は無かった高層ビル群が背後に屏風のように建ってはいるが。大手門など今後の復元事業が楽しみである。
  浜離宮⑩
 新橋駅前にある創業明治18年という老舗の名物オムライスを食べて帰途に着いた。
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路傍祠のLandscape 27

三郷市花和田 青面金剛
   花和田路傍①
   花和田路傍②
  花和田路傍③
  花和田路傍④
 観音像は延享年間の造立。穏やかな顔である。青面金剛はショケラを持つ六臂の剣人像である。
  花和田路傍⑤
 青面金剛には造立年が刻まれていないが、手前の石柱には「天明三癸卯年正月吉日」とある。この年が青面金剛の造立年なのだろうか。路傍学会の興味は尽きない。
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青面金剛のLandscape 199

江戸川区東小岩、北篠崎 青面金剛
   東小岩1丁目江戸川土手①
 江戸川区東小岩一丁目地先の江戸川のサイクリングコースを走っていると、庚申塔らしきものが見えた。シルバーの軽バンの左側である。
  東小岩1丁目江戸川土手②
 あわてて土手を下り、探しに行った。シルバーの軽バンの後ろである。これに間違いない。
  東小岩1丁目江戸川土手③
 六臂の合掌像である。台石に三猿が彫ってあるが、石質は異なるようで、別の像のものかもしれない。隣にある柱には鳶の焼印がある。木遣に関係するものだろうか。
  東小岩1丁目江戸川土手④
 側面には「いち川へのみち」とあり、道標であったことがわかる。正徳年間の作。
  北篠崎1丁目江戸川土手⑤
 土手下の道を下って行くと、北篠崎一丁目の路傍、風にそよぐ草の中に塔婆と石造物が見えてきた。
  北篠崎1丁目江戸川土手⑥
 地蔵尊と青面金剛が並び立つ。
  北篠崎1丁目江戸川土手⑦
 青面金剛は六臂の合掌像である。
  北篠崎1丁目江戸川土手⑧
 二鶏と邪鬼である。草で邪魔をされて三猿はよくわからない。寛保年間の作。先の像もそうだと思うが、河川改修で移されてきたのであろう。川沿いの石仏探しも面白い。
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  2. 青面金剛
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神社のLandscape 163

三郷市谷口 谷口稲荷神社
   谷口稲荷神社①
 三郷市谷口の路傍、矢口稲荷神社である。
  谷口稲荷神社②
 昭和63年に再建された鳥居をくぐり境内に入り、参道を進むと金木犀の横に小堂が見える。
  谷口稲荷神社③
 三基の石造物が並んでいる。
  谷口稲荷神社④
 左端の青面金剛である。六臂の合掌像である。上部が剥落してしまっている。邪鬼は力強く正面を向いている。享保年間の作。
  谷口稲荷神社⑤
 隣の石塔の下部である。蓮華と唐草文様である。
  谷口稲荷神社⑥
 小堂の手前には二個の力石が置かれていた。
  谷口稲荷神社⑦
 拝殿の虹梁の牡丹は鮮やかに彩色されている。
  谷口稲荷神社⑧
 拝殿に掲げられた石製の扁額にも狐が浮彫されている。
  谷口稲荷神社⑨
 さらにその上、屋根の上では留蓋瓦の狐が跳ねていた。
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