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Landscapes by the roadside

路傍学会


神社のLandscape 210

板橋区東新町 東新町氷川神社
   東新町氷川社①
 板橋区東新町二丁目の路傍、東新町氷川神社の参道入口である。一の鳥居は明治20年の建立。
  東新町氷川社②
 緑濃い社叢の中、参道は三の鳥居まで緩やかな石段を登っていく。三の鳥居は両部鳥居である。
  東新町氷川社③
 三の鳥居の先の狛犬である。柔らかな顔つきの狛犬である。
  東新町氷川社④
 台石裏側の左に石工の名が刻まれているが、~兵衛? 判読できない。嘉永年間の奉納。
  東新町氷川社⑤
 手水鉢である。人が近づくと山型の石とその下の石の隙間から水が流れて出てくる仕組みである。珍しいタイプである。
  東新町氷川社⑥
 拝殿前の狛犬である。井之頭公園の自然文化園の中にアトリエがあった北村西望作のブロンズ像である。平成28年の奉納。
  東新町氷川社⑦
 拝殿の本坪鈴は、一つ大型のものが付いているのではなく、小型の鈴が3段に神楽鈴のように付いている。シャランシャランと優雅な音色であるが、このような形式には初めてお目にかかった。
  東新町氷川社⑪
 境内にある郷土資料館の前には力石がごろりと置かれている。
   東新町氷川社⑧
 参拝を終えて、近くの昭和感漂うアパートを眺めていると、ブロック塀の控え壁に琺瑯看板が取り付けられているではないか。
  東新町氷川社⑨
 人も通れない隙間に面して取り付けるとは。これは視認性がよろしくない。
  東新町氷川社⑩
 寄贈者は今も元気に営業中である。
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  2. 神社
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青面金剛のLandscape 256

吉川市吉川 延命寺
   延命寺①
 吉川市吉川の路傍、延命寺の門前である。松の大木の右に見えるのは鐘楼で、左は山門である。山門の左側には地蔵堂がある。山門の手前に石塔群が見える。
  延命寺②
 地蔵堂の前には小石がたくさん詰まった笊がある。願掛けの小石だろうか。
  延命寺③
 地蔵堂と墓地の間には雑然と大きな石が転がっている。力石のようにも見えるが、文字は見当たらない。
  延命寺④
 山門前の石塔群である。
  延命寺⑤
 左端の青面金剛碑である。青面金剛碑は、駒形や角柱形が多く、円柱形は珍しい。
  延命寺⑥
 日月はしっかりした彫りである。
  延命寺⑦
 台石にいるのは猿か? 三方向に一猿ずつ彫り込まれているようだ。竿を担いでいるように見える。本当に猿だろうか?文化年間の作。
  延命寺⑧
 中央部の青面金剛である。合わせた掌が失われているが六臂の合掌像である。
  延命寺⑨
 邪鬼は頭を踏みつけられている。宝永年間の作。
  延命寺⑩
 上の像の右側も青面金剛である。剣は折れ、顔が傷んでいるが、ショケラ持ちの剣人像である。
  延命寺⑪
 邪鬼はのっそりとこちらを向いている。宝暦年間の作。
  延命寺⑫
 これは二十一大師巡りを示す碑の上部である。左右を指さしている。ここから左や右にも巡るべき大師があることを示しているのだろうか。見どころの多い石塔群であるが、1枚目の写真を見ると、山門と地蔵堂の左右両側が空地になっている。前面道路の拡幅事業が進められているのである。これから、山門や石塔群どうなるのか、気掛かりである。
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  2. 青面金剛
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青面金剛のLandscape 255

足立区六木 大光寺
  大光寺①
 足立区六木三丁目の路傍、大光寺の門前である。境内の観音像が見える。六木の地名は、この土地が、織田信長の次子・織田信雄に仕えた六騎の武者によって開拓されたことに因む。六人の武者が、かつて共に戦った仲間を弔うためにこの大光寺を建てたのである。
  大光寺②
 手水鉢の龍は溶岩の穴から這い出てきたかのようである。
  大光寺③
 宝篋印塔の手前に庚申塔が祀られている。さらにその手前には鯖大師が祀られている。
  大光寺④
 鯖大師である。三年間、鯖を食べないで祈願すると願いが叶うという鯖断ちであるが、〆鯖好きな路傍学会には無理な話である。
  大光寺⑤
 合わせた掌は欠けてしまっているが、六臂の合掌像である。日月は駒形の上にはみ出るスタイルである。
  大光寺⑥
 邪鬼はとろりと溶けたようになっている。三猿は分からない。
  大光寺⑦
 立体感ある像である。元禄年間の作。
  大光寺⑧
 向かいの大師奉安殿には四国八十八か所の寺院の名が書かれている大師像が並んでいる。
  大光寺⑨
 参詣を終えて山門をでると、マツダのロータリーエンジンを搭載した往年の名車がとまっていた。コスモだったかな。
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  2. 青面金剛
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路傍祠のLandscape 42

豊島区千早 千早親水公園
  千川親水公園①
 豊島区千早四丁目の路傍に桜の大木が並んでいる。左側は千川親水公園である。玉川上水から分流し、江戸に水を供給していた千川上水が暗渠化された跡に整備された公園である。
  千川親水公園②
 公園内には遊具が並び、親水施設も設けられている。
  千川親水公園③
 この公園を先に進むと、公園内でボール遊びをするエリアと都立千早高校の間を通るようになる。画面の左が高校の敷地である。
  千川親水公園④
 ネットフェンスに挟まれた狭い通路を抜けると、小さな堂が現れる。
  千川親水公園⑤
 堂内には四基の石塔が祀られている。左側の三基が庚申塔である。
  千川親水公園⑥
 堂内に掲げられている由緒書である。この由緒によると、庚申塔は昭和43年頃までは千川上水の脇に祀られていたが、周辺の宅地開発が進む中でいつのまにか行方不明になってしまった。昭和52年に練馬区北大泉の山林に放棄されていたのが発見され、現在地に戻されたが、もともとあった五基のうち最も古い庚申塔は発見されていないという。どこにあるのか。
  千川親水公園⑦
 堂の左の柱にはこのような言葉が記されていた。不届き者がいるようである。
  千川親水公園⑧
 左から二番目の青面金剛は六臂の合掌像である。少し傷んでいるが、丁寧に彫られた像である。
  千川親水公園⑨
 邪鬼と三猿である。邪鬼の顔は修復されている。正徳年間の作。
  千川親水公園⑩
 左から三番目の青面金剛である。顔、手、足が傷んでいるが、修復されている。延宝年間の作。
  千川親水公園⑪
 三猿である。中央の不聞猿の顔も修復されている。読みにくくなっているが、左縁に「遠江國榛原郡」と読める。今の静岡県だが、静岡の庚申塔がどうして豊島区にあるのだろうか。うーむ、路傍学会の興味は尽きない。
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  2. 路傍祠
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建物のLandscape 23

中央区銀座 奥野ビル
  銀座①
 中央区銀座一丁目、並木通りである。ラグビーワールドカップのバナーが垂れ下がる街路灯の奥の街路樹の根元に渋い幸稲荷神社の案内板がある。
  銀座②
 路地の右手のビルの先に鳥居が見える。
  銀座③
 お洒落なビルの谷間に幸稲荷神社が鎮座している。江戸時代からの銀座一丁目辺りの護り神と言われている。
  銀座④
 今回銀座を訪れたのは、このビルを見るためである。近代的なビルが並ぶ中、窓辺に植物が見えるビルがある。昭和7年に竣工した奥野ビルである。ギャラリーや画廊などが入るテナントビルとして利用されている。
  銀座⑤
 1階のエレベーターホールである。
  銀座⑥
 奥にある店舗の開店を知らせるロボットである。眼鏡店のようである。
  銀座⑦
 手動開閉式のエレベーターの階数表示もどこかモダンな雰囲気である。
  銀座⑧
 床も剥げているが、この雰囲気を生かしたギャラリーがある。
  銀座⑨
 閉室の札が掛けられた306号室では、この部屋を維持しつつ、活用するプロジェクトが進行している。
  銀座⑩
 手すりにも歴史が刻まれている。一歩足を踏み入れると、タイムスリップしたかのような感覚を味わうことができるビルであった。
  銀座⑪
 タイムスリップ感を味わった後、界隈を散策した。木挽町仲通りの路傍に赤錆が浮いた波板トタンに覆われた家があった。
  銀座⑫
 2階、3階部分の正面である。スクラッチタイル貼りで、庇部などに凝った意匠が施されている。いつ頃の建物だろう。
  銀座⑬
 下町風の路地である。奥にある有名な蕎麦屋の前には人が並んでいた。この路地の先に鳥居がある。
  銀座⑭
 安平神社である。江戸時代に大名屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神社で、明治時代には、ここで創業した料亭の敷地内で祀られていた神社である。料亭跡には高層マンションが竣工し、その一画に鎮座している。
  銀座⑮
 帰り際に面白い琺瑯看板を見つけた。地図を作製する会社の軒先である。上のマークは「図」の文字を図案化したものだろう。
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  2. 建物
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青面金剛のLandscape 254

越谷市東町 水神社
  水神社①
 越谷市東町二丁目の路傍、フェンスの向こうに鳥居が建っている。
  水神社②
 水神社である。大きな木も無く、新しい境内のようである。
  水神社③
 境内にある遷座記念碑である。この碑によると、近くを流れる中川の河川改修により、平成18年に現在地に遷座したという。遷座してまだ10年である。木はまだ若いのである。
  水神社④
 拝殿の右側に五基の石塔が並んでいる。
  水神社⑤
 右側の三基は青面金剛像である。
  水神社⑥
 上の写真の中央にある青面金剛である。六臂の合掌像である。上部にある日月に瑞雲が無い。瑞雲が無いのも珍しいのではないか。邪鬼は両肘を張って力んでいる。宝永年間の作。
  水神社⑦
 右から2番目の像である。ショケラ持ちの六臂の剣人像である。主尊は少し腰を落としたような姿勢で、邪鬼は腕を突っ張っている。831日号で報告した彦成五丁目稲荷神社の青面金剛と良く似ている。同じ石工の手によるものだろう。元文年間の作。
  水神社⑧
 右端の青面金剛である。六臂の合掌像である。髪型が独特である。
  水神社⑨
 邪鬼と三猿である。邪鬼はくつろいでいるようにも見える。三猿は向かい合って何やら楽しそうである。
  水神社⑩
 水神社の隣の水田では稲穂が色づき始めていた。
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  2. 青面金剛
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路傍祠のLandscape 41

豊島区長崎 長崎界隈の路傍祠
   長崎①
 豊島区長崎三丁目の路傍、墓地の角に小堂がある。
  長崎②
 堂内に二基の石塔が祀られている。生花やトマトが供えられており、大切にされていることが分かる。
  長崎③
 右側の青面金剛である。所々欠落しているが、おそらくショケラ持ちの六臂の剣人像であろう。
  長崎⑭
 三猿の下に二鶏が浮彫されている。
  長崎④
 プーさんの横に延宝の文字が見える。
  長崎⑤
 左の庚申塔の三猿である。足の指が長い。こちらは寛文年間の作である。
  長崎⑥
 豊島区長崎四丁目を歩いていると、マンション前の路傍に板塀で囲まれた小堂が見えてきた。
  長崎⑦
 小城山観音の提灯が掛けられている。
  長崎⑧
 覗き込むと馬頭観音が祀られていた。この辺りはかつて小城山と呼ばれていたことに由来する観音様である。明和年間の作。
  長崎⑨
 松ぼっくりが供えられているが、どのような意味があるのだろう。路傍学会の興味は尽きない。
  長崎⑩
 長崎をさらに歩いていくと、長崎六丁目の路傍に青面金剛が祀られていた。
  長崎⑪
 六臂の合掌像である。祠で守られていない像であるが、傷みのない綺麗な像である。生花が供えられており、地元の方々から大切にされていることが伝わってくる。
  長崎⑫
 邪鬼は顔を踏みつけられている。小さいが、主尊の左側の鶏が浮彫であるのに、右側の鶏は線刻である。この違いは何だろう。牡と牝の差だろうか。
  長崎⑬
 左側面には「武刕豊嶋郡長崎村」に並んで「左 なかの道」とある。右側面には「いたはし道」とあり、道標を兼ねた庚申塔である。安永の道標に見送られて帰途に着いた。
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  2. 路傍祠
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神社のLandscape 209

市川市大町 日枝神社
  日枝①
 市川市大町、梨街道とよばれる国道の路傍、日枝神社の参道入口である。
  日枝②
 参道を進むと徴発軍馬紀念碑がある。710日号で紹介した市川市大野にも同様の石碑があった。
  日枝③
 台石には多数の出馬者の名前が刻まれている。いったい何頭の馬が徴発されたものだろうか。この碑は日露戦争後、明治39年の建立である。
  日枝④
 拝殿前の子連れ狛犬は明治17年に奉納されたものである。
  日枝⑤
 賽銭箱前に佇む人形である。笑顔で参拝者を迎える。
  日枝⑥
 参拝を終えて参道を引き返すと、道路の向こうに石仏が2基見える。
  日枝⑦
 どちらも青面金剛である。
  日枝⑧
 左の像である。ショケラ持ちの剣人であるが、二童子、二邪鬼の像である。ショケラはかなり大きい。三猿に緊張感は無い。享保年間の作。
  日枝⑨
 右の像である。こちらもショケラ持ちの剣人像で、二童子を従えている。邪鬼は妙に穏やか風情である。こちらは明和年間の作。
  日枝⑩
 前の道は大町梨街道と呼ばれている。
  日枝⑪
 沿道には梨園が数多く店を出しており、日枝神社の前にも梨店があった。
  日枝⑫
 梨街道を歩いていくと、マンションの擁壁の途中に石塔を見かけた。
  日枝⑬
 二基の庚申塔が並んでいる。ステンレス製のバンドが転倒を防いでいる。
  日枝⑭
 東葛地域特有の二手青面金剛である。
  日枝⑮
 一邪鬼、二鶏、三猿である。素朴な彫りである。元禄年間の作。この後、汗をふきふき、帰途に着いた。
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青面金剛のLandscape 253

三郷市彦成 彦成五丁目稲荷神社
  彦成①
 三郷市彦成五丁目の路傍、彦成五丁目公民館に隣接して社が見える。
  彦成②
 立派な幟建石が建っている彦成五丁目稲荷神社である。
  彦成③
 社殿の横に庚申塔が並んでいる。
  彦成④
 左端の青面金剛である。ショケラを持つ六臂の剣人像である。主尊は少し腰を下ろしたような姿勢である。邪鬼は腕を突っ張り耐えている。元文年間の作。
  彦成⑤
 中央の六臂の合掌青面金剛である。口はへの字に結ばれている。
  彦成⑥
 一邪鬼二鶏三猿である。しっかりと踏みつけられている邪鬼は恨めし気な顔である。
 先週の824日号で、葛飾区青戸の勝養寺の青面金剛が無くなったという報告をしたところ、こっぺる氏から「勝養寺隣、お好み焼き屋の横の路地入口にある庚申塔がそれではないかなと思います。」とのコメントをいただいた。
  彦成⑦
 早速行って見た。確かに、お好み焼き屋の右手に石の祠が見える。
  彦成⑧
 三面六臂の青面金剛である。以前撮影した写真と比べても間違いない。どうして境内からここへ移されたのかは不明だが、久しぶりに再会することができた。こっぺる氏に感謝である。
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路傍祠のLandscape 40

杉並区松ノ木 松ノ木一丁目路傍祠
  松ノ木①
 杉並区大宮二丁目、道路の突き当りに見えるのは大宮八幡宮の一の鳥居である。
  松ノ木②
 一の鳥居の左手の植木の影に石塔が見える。
  松ノ木③
 左の木札の文字は薄れているが青面金剛像と書かれている。随分傷んでいるが、水が供えられている。資料によると寛政年間の作である。
  松ノ木④
 大宮八幡宮の前の道を北に進み、松ノ木中学校過ぎた松ノ木一丁目の路傍に小堂がある。
  松ノ木⑤
 堂内には3基の石塔が見える。
  松ノ木⑥
 左は六臂の合掌像である。享保年間の作であるが、傷みの少ない綺麗な像である。右下に松木村とあり、地元の方々が長い間、大切にしてきたのだろう。
  松ノ木⑦
 中央の石塔には青面金剛が線刻されている。六臂の合掌像であるが、下部は剥落しており、邪鬼がいたのか、三猿が彫られていたのか分からない。明治時代のものである。
  松ノ木⑧
 右も六臂の合掌像である。この像も傷みが少ない。三猿は綺麗な菱形パターンである。貞享年間の作。
  松ノ木⑨
 この堂の天井には天女が描かれている。昭和10年に奉納されたものである。
  松ノ木⑩
 上の路傍祠の横の道を西方向に進むと、成田東二丁目の路傍に白山神社が現れる。
  松ノ木⑪
 境内の狛犬は子連れである。昭和6年の建立。
  松ノ木⑫
 手水鉢の吐水口は龍だが、頭に載せているのは宝珠か。どのように水を出すのだろう。
  松ノ木⑬
 石段の左手に青面金剛が祀られている。
  松ノ木⑭
 大分表面が磨滅しているが、元禄年間の作とする資料もある。傷んでいても、今も地元で大切にされている庚申塔である。
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 東京東部を拠点として、路傍の風景について学際的に考察するブログです。

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