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Landscapes by the roadside

路傍学会


青面金剛のLandscape 306

越谷市 増森、中野の庚申塔
  増森・中野1
 越谷市増森、元荒川沿いの路傍、森西川自治会館前に墓地がある。墓地の角に石柱がある。
  増森・中野2
 ガードレールに護られるように、庚申塔が建っている。
  増森・中野3
 左側面には「越ケ谷 大相模不動道」と刻されている。反対側の右側面には「吉川道」とある。
  増森・中野4
 庚申塔の下部には丸っこく愛らしい三猿が浮彫りされている。文化年間の造立である。
  増森・中野5
 墓地の中には六地蔵も祀られている。
  増森・中野6
 墓地のはずれには三猿が浮彫りされた庚申塔もあった。寛文年間の作である。
  増森・中野7
 増森の墓地を後にして、越谷市中島を目指して歩いて行くと、路傍に青面金剛が祀られている。
  増森・中野8
 六臂の合掌像である。
  増森・中野9
 庚申塔の左の御札は、榛名神社御祈祷御札だろうか。風雲順時、五穀豊穣を願うものだ。
  増森・中野10
 頭の上に蛇を乗せているが、顔は随分傷んでいる。合わせた手も欠落している。
  増森・中野11
 邪鬼と三猿である。主尊の裾がめくれていて、邪鬼の尻尾のように見え、三猿のボス猿のようにも見えてしまう。寛延年間の作である。この場所は旧増森村と中島村の村境に当たる。村に災いが入るのを防ぐためにここに建てられたのだろうなどと思いながら帰途に着いた。
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  2. 青面金剛
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青面金剛のLandscape 305

越谷市増森 増森新田稲荷神社
  1新田橋手前
 越谷市増森二丁目の路傍、二つの小祠が並んでいる。
  2新田橋手前
 その間に庚申供養塔が祀られている。宝暦年間の造立である。
  3新田橋手前
 庚申塔の左右には大黒天と・・・ 
  4新田橋手前
 恵比寿天が控えている。
  5増森新田稲荷神社
 新方川と新田橋である。新田橋の左手に松が見える。
  6増森新田稲荷神社
 松の横に鳥居が見える。
  7増森新田稲荷神社
 消防団の建物の奥に増森新田稲荷神社がある。
  8増森新田稲荷神社
 消防団の建物の裏手に4基の青面金剛が祀られている。
  9増森新田稲荷神社
 右端の六臂の合掌像である。享保年間の作。
  10増森新田稲荷神社
 右から2番目の青面金剛である。ショケラを持つ六臂の剣人像である。
  11増森新田稲荷神社
 邪鬼と三猿である。邪鬼は胸と腹を踏み付けられて苦しくて、すっかり諦めの表情である。明和年間の作。
  12増森新田稲荷神社

 右から3番目の青面金剛である。六臂の合掌像である。顔は傷んでいる。三猿は半分埋もれている。

  13増森新田稲荷神社

 左端の青面金剛である。彫りの深い像である。六臂の剣人像であるが、左手は裏面を向けているが、何を持っていたのだろう。ショケラだろうか。

  14増森新田稲荷神社

 邪鬼と三猿である。邪鬼は頭を踏み付けられて、これも苦しい。三猿はそろって左を向き、左手を後ろに伸ばして、楽しそうである。寛政年間の作。

  15増森新田稲荷神社

 青面金剛の左にあるトタン屋根の祠の中には石塔が祀られている。風化が激しいが、一番上にかろうじて「辨」の文字が見える。祀られているのは弁財天だろうか、などと考えながら次の目的地に向かった。

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神社のLandscape 248

松戸市根本 池田弁財天
  池田弁財天 琺瑯看板1
 松戸市小根本の路傍にコンクリート製レトロ電柱がある。松戸市内でこうしたレトロ電柱を見ると、524日号で報告した松戸宿の平潟遊郭を連想してしまう。そこで、平潟遊郭に縁のある神社を訪ねることにした。
  池田弁財天 琺瑯看板2
 レトロ電柱には琺瑯製の街区表示板がある。
  池田弁財天 琺瑯看板3
 寄贈者は北千住電車通りの月賦屋である。創業大正13年の会社である。1968年に都電の北千住線は廃止されているが、その都電が走っていた日光街道を電車通りと呼んだのだろうか。いつか千住の郷土史に詳しい細岡氏に聞いてみよう。
  池田弁財天4
 松戸市根本の路傍、マンションの手前に白い鳥居が見える。
  池田弁財天5
 池田弁財天である。
  池田弁財天6
 参道には数多くの鳥居が並んでいる。奉納者名が匿名のものも多い。
  池田弁財天7
 くぐり抜けた鳥居である。腰を屈めないと頭をぶつけてしまう。
  池田弁財天13
 鳥居の先にある手水鉢には天保の文字が刻されている。この神社の長い歴史を伝えている。
  池田弁財天8
 本殿である。小さな社殿ではあるが、綺麗な花や酒が供えられている。性病を患った平潟遊郭・笹野屋の遊女おつるが、この弁天様に病気を直してもらえるようお百度参りをして、全快した。このことを聞いた人々が、鳥居を寄進したり、蛇の形をした陶器や絵馬を供えるなど厚く信仰したという。
  池田弁財天9
 拝殿には大変太い鈴緒が吊り下げられている。拝殿にはお金を奉納した人々の名札がずらりと幾重にも打ち付けられている。ここにも匿名の札が散見される。
  池田弁財天10
 拝殿脇のラックには奉納された蛇が並んでいる。
  池田弁財天11
 新しいものなのだろうか、2匹の蛇が絡んだものもある。
  池田弁財天12
 参道の入口付近には馬頭観音も祀られている。手を合わせて、屈まないと通れない小さな鳥居が並ぶ先にある、少し不思議な様相を呈する境内を後にした。
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青面金剛のLandscape 304

越谷市増森 増森公民館前
  1 増森 新川橋
 越谷市東部の庚申塔を訪ねるため、武蔵野線吉川駅からバスに乗った。新川橋でバスを降りた。
  2 増森 中川
 中川沿いを北上し、宝正院の前を西に向かう。
  3 増森公民館前
 公民館前の広場に小祠と石塔が見える。
  4 増森公民館前
 この小祠の中には廿一仏板石塔婆が祀られている。扉は施錠されており開くことはできない。
  5 増森公民館前
 格子の間から撮影した廿一仏板石塔婆である。右縁上部に「申待」の文字が刻されている。埼玉県指定文化財である。天正年間の作。
  6 増森公民館前
 ブランコの奥に石塔が並んでいる。
  7 増森公民館前
 右から聖徳太子立像、青面金剛、庚申塔である。
  8 増森公民館前
 聖徳太子立像である。石塔正面に浮彫りされている。文化年間の作である。
  9 増森公民館前
 蘚苔類が張り付いて見にくいが、青面金剛はショケラを持つ六臂の剣人像である。
  10 増森公民館前
 こちらも見にくいが邪鬼と三猿である。邪鬼は踏まれた頭をもたげている。台石が無く、一体化している石塔である。
  11 増森公民館前
 成田山不動明王塔の右側面には「西 こしかや 大さかミ不動、東 赤岩わたし のだ 道」と刻されている。「赤岩わたし」とは、今も熊谷市と群馬県千代田町を結ぶ赤岩渡船をさすのだろうか。ここ公民館前の石塔は道標を兼ねるものが多い。交通の要衝だったのだろう。
  12 増森公民館前
 石塔列の端にはコンクリート製の祠がある。三峯神社である。他の場所から移されたものであろう。扉は壊れてしまった。この後、増森神社に向かった。
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  2. 青面金剛
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建物のLandscape 31

中央区銀座 歌舞伎座
  1葺屋町
 71日号で報告した葛飾区にある渋江白髭神社に「江戸葺屋町」と刻まれた常夜灯が奉納されていた。葺屋町とは、どのような町だったのだろうか。これは江戸名所図会に描かれた葺屋町と隣接する堺町である。大きな屋根が二つ見える。画面右の大屋根は「中村座」、画面左側の大屋根は「市村座」と記されている。通りの南側には多くの幟を立ち「あやつり座」と記され、見物客が通りに溢れている。この界隈には小芝居の玉川座、古浄瑠璃の薩摩座、人形劇の結城座などが軒を連ね、一大芝居町を形成していたという。
  2葺屋町切絵図
 江戸切絵図である。画面の中央に通りを挟んで葺屋町、堺町がある。葺屋町の名は、屋根葺職人が多く居住したことによる。隣接の堺町とともに、寛永年間から天保年間にかけて、200年余の間賑わったが、天保の改革により、中村座、市村座は浅草猿若町へ移転した。
  3人形町交差点
 葺屋町、堺町は現在の中央区日本橋堀留町一丁目、日本橋人形町三丁目辺りである。中央区の人形町交差点から見た日本橋人形町三丁目付近である。交差点近くの説明板に、交差点北側一帯には江戸唯一の歓楽街があり大変賑わったこと、中村座、市村座があったことなどが記されているが、それらしい風情は感じられない。
  4人形町3丁目
 建ち並ぶビルの裏には下町的な路地もある。 
  5木挽町
 幕府から興行特権を認められていた江戸の芝居小屋は、中村座、市村座の他に森田座があった。森田座が開場したのは木挽町である。江戸名所図会に描かれた木挽町芝居である。「顔みせや 一ばん太鼓 二番鳥」とある。芝居小屋の両側には、二階建ての芝居茶屋がずらりと並び、一階の軒下にはぼんぼり提灯がずらりと架けられている。通りは大変な賑わいである。通りに面した右面の左端には櫓が上がっている。森田座も天保の改革で浅草猿若町に移転している。
  6木挽町切絵図
 江戸切絵図の画面中央下を直線的に横切っているのは三十間堀川である。左端に汐留橋がある。三十軒堀川の下に沿って連なるのが木挽町である。木挽町の名は、江戸城修築の時に木挽職人が多く居住したことに由来するという。森田座があったのは木挽町五丁目である。
  7銀座6丁目
 銀座五丁目から銀座六丁目方向を眺めたところである。森田座はどの辺りにあったのだろう。画面先の右手にギンザシックスがある。江戸時代からの賑わいは今も続いている。
  8猿若町
 江戸三座が移転した猿若町を訪ねた。浅草六丁目の路傍に浅草猿若町碑がある。
  9猿若町
 次は市村座跡の碑である。
  10猿若町
 これは森田座改め守田座の跡である。
  11猿若町
 今は人通りも少ないこの道の路傍に江戸三座が軒を連ねていたことを想像するのは難しい。
  12新富座跡
 中央区新富町一丁目の路傍、改築なった京橋税務署の建物である。
  13新富座跡
 路傍に新富座跡の説明板がある。守田座は明治5年にここ新富町に移転し、その後、新富座と改称した。新富座は近代的な様式を取り入れた大規模なもので、周辺には歌舞伎関係者も居住し、一帯は芝居町であったという。しかし、関東大震災で焼失してしまった。
  14歌舞伎座
 中央区銀座四丁目の路傍、歌舞伎座である。明治22年、京橋区木挽町三丁目に開設された。現在の建物は5代目である。
  15歌舞伎座
 11月の「顔見世大歌舞伎」の際には、江戸名所図会に描かれているような櫓が上げられる。木挽町の文字も見える。
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  2. 建物
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青面金剛のLandscape 303

新宿区新宿 天龍寺
  天龍寺1
 新宿四丁目、明治通りの路傍に山門が見える。
  天龍寺2
 天龍寺の山門である。
  天龍寺3
 境内に入ると、本堂の右手に鐘楼がある。牧野備後守貞長により寄進された鐘である。江戸市中に時刻を告げた「時の鐘」のひとつで、上野寛永寺、市ヶ谷八幡の鐘とともに江戸の三名鐘とうたわれた鐘である。
  天龍寺4
 江戸切絵図にも文字が逆さまであるが「時之鐘」と記されている。
  天龍寺5
 内藤新宿で夜通し遊興していた人々を追出す合図として「追出しの鐘」とも呼ばれたという。
  天龍寺6
 鐘楼の後ろに3基の石塔がある。
  天龍寺7
 左端の石塔である。かなり摩滅しているが、上部には青面金剛があり、その下には三猿と思しき凹凸がある。
  天龍寺8
 中央の石塔である。上部の日月と青面金剛像が見えるが、下部の三猿はかなり摩滅している。火災にあったのだろうか。造立年も不明である。右端の石塔も庚申塔なのだろうか。分からない。
  天龍寺9
 墓地には手押しポンプがある。川本製作所のポンプである。
  天龍寺10
 六地蔵に見送られて天龍寺を後にした。
  天龍寺11
 上の江戸切絵図の玉川上水沿いに描かれている雷電神社である。
  天龍寺12
 社殿前の力石である。
  天龍寺13
 鳥居の先にあるシラカシの根元に石がある。刻字は見当たらないが、この石も力石だろうか。
  天龍寺14
 雷電神社の先、天龍寺の裏手の路傍で見かけた旅館である。こういう窓の配置を見るとカフェー建築か、と妄想してしまう路傍学会であった。
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  2. 青面金剛
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煉瓦のLandscape 18

松戸市岩瀬 工兵学校正門
  工兵学校1
 松戸市岩瀬の路傍、黄葉した銀杏の下に見づらいが煉瓦積みの門柱が建っている。
  工兵学校2
 松戸中央公園の入口である。
  工兵学校3
 これは向かって左側の門柱である。堂々たる煉瓦積みの門柱である。
  工兵学校4
 こちらは向かって右側の門柱である。右の門外に見えるのは歩哨哨舎である。松戸中央公園の敷地は、陸軍工兵学校があった場所で、これらの門柱は学校の正門であった。松戸市指定有形文化財となっている。工兵学校は、大正8年に、中山競馬場の前身となる松戸競馬場の跡地に設置された旧陸軍の学校である。
  工兵学校5
 コンクリート製の歩哨哨舎である。ここから正門を監視していたのだ。
  工兵学校6
 庇のデザインである。昭和モダンな感じである。
  工兵学校7
 松戸中央公園の西側にある陸軍工兵学校の碑である。
  工兵学校8
 工兵学校の碑の近くには、千葉大学工学部跡の碑がある。
  工兵学校9

 公園の裏手から駅方面に下りる階段がある。

  工兵学校10

 階段の中程、地中に半ば埋もれたにコンクリート製の建物がある。この建物は陸軍工兵学校の倉庫跡で、揮発油を保管していたという。扉は4つあり、奥の2つはコンクリートブロックで塞がれている。手前の2つには鉄製の扉がはめ込まれている。

  工兵学校11

 リベット打ちされた重厚な鉄扉である。

  工兵学校12

 扉の上には通気筒の穴があり、その上には通気筒を支える金具が見える。

  工兵学校13

 倉庫跡からはまだ下りの階段は続く。揮発油を安全に貯蔵するためにこのような場所を選んだのだろう。

  工兵学校14

 階段の途中に陸軍用地の境界標石がある。

 ここ相模台は、鎌倉時代に北条長時が城を築き、戦国時代には小田原の北条氏と里見氏等が激戦を繰り広げ、明治時代に競馬場となり、その後、工兵学校、大学を経て公園となった。合戦の場所は数百年の時を経て市民の憩いの場所になったのだ、などと思いながら、階段を下りた。

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  2. 煉瓦
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地蔵尊のLandscape 60

市川市稲荷木 延命地蔵尊
  稲荷木延命地蔵1
 市川市稲荷木三丁目、一本松バス停の後ろに石仏や石塔が祀られている一画がある。バス停の右側に見える構造物は京葉道路である。
  稲荷木延命地蔵2
 延命地蔵尊である。「延命地蔵之由来」によれば、この延命地蔵は享保12年に、椎名茂右衛門という人が、千葉街道と行徳街道が交わる八幡の四ツ角に、通行人の安全と災難に遭った通行人の供養のために建立したものである。その後、国道14号線の拡幅や都営地下鉄の工事によってこの場所に移転されたのである。
  稲荷木延命地蔵3
 延命地蔵尊の前には馬頭観音に並んで青面金剛も祀られている。六臂の合掌像である。青面金剛の左にある切り株は、バス停の名前の元となった「一本松」の切り株である。京葉道路の排気ガスなどの影響により枯死し、昭和48年に伐採されたという。
  稲荷木延命地蔵4
 右側面には「これより右やわたみち 正徳三癸巳歳」と刻まれている。
  稲荷木延命地蔵5
 左側面には「これより左市川国分寺みち」と刻まれている。
  稲荷木延命地蔵6
 延命地蔵尊前の旧道を行徳方面に進むと稲荷木稲荷神社がある。
  稲荷木延命地蔵7
 寛政2年建立の鳥居に掛る扁額である。
  稲荷木延命地蔵8
 きりりとした拝殿前の狐である。天保年間の造立。
  稲荷木延命地蔵9
 境内にあったこの石は力石かと思ったが、御嶽大神と刻まれていた。
  稲荷木延命地蔵10
 本殿は鉄格子で守られている。格子越しに全面に施された彫刻を見ることができる。
  稲荷木延命地蔵11
 旧道をたどり、江戸川堤近くの雙輪寺に立ち寄った。優しいお顔の地蔵菩薩に手を合わせて、帰途に着いた。
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  2. 地蔵尊
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神社のLandscape 247

足立区千住 千住本氷川神社
  本氷川神社1
 千住宿には宿場町を偲ばせる古い建築物がいくつか残されているが、足立区千住三丁目の路傍にも古店舗がある。
  本氷川神社2
 板戸の角の摩滅が、この店舗の歴史を物語る。
  本氷川神社3
 これは蛍光灯を前後に移動させる仕組みである。こうしたものに妙に気を引かれる路傍学会である。
  本氷川神社4
 店の前に置かれた陳列棚である。侵入盗とは物騒である。今なら振り込め詐欺への注意を呼び掛けるところだろう。
  本氷川神社5
 この店舗の前の路地の先に千住本氷川神社の鳥居が見える。
  本氷川神社6
 神社に向かう途中で見かけたお宅の玄関灯である。味わい深い造りである。いつ頃の建築だろうか。
  本氷川神社7
 千住本氷川神社である。
  本氷川神社8
 手水鉢では獅子の口から水が出る。センサー式である。
  本氷川神社9
 千住本氷川神社の旧社殿である。向拝は、千鳥破風、その前面が唐破風となる二重の破風を形成している。
  本氷川神社10
 木鼻の龍である。龍の爪や体には蝉の脱け殻が付いている。
  本氷川神社11
 海老虹梁にも鳥の彫刻がある。雉だろうか。
  本氷川神社12
 二重虹梁の上では力神が屋根を支えている。
  本氷川神社13
 旧社殿の中には大黒天が祀られていた。この旧社殿は足立区の有形文化財に登録されている。この境内の北側の街区にある路地に、1111日号で報告したリノベーションされたカフェー建築がある。
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  2. 神社
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青面金剛のLandscape 302

調布市深大寺元町 宿神明社
  神代1
 調布市にある神代植物公園を久々に訪ねた。秋薔薇が見頃であった。
  神代2
 ダリアも綺麗な花をつけていた。「キューティーハニー」という品種である。美しい花々に癒されてから、深大寺に向かった。
  神代3
 植物園の正門を出て、武蔵境通を歩いていると、宿神明社という社号が刻まれた石柱があった。後ろに鳥居も見えるではないか。手元の地図には表示の無い神社である。
  神代4
 児童遊園のような広場の奥に鳥居がある。
  神代5
 木々の奥に社殿が見える。
  神代6
 社殿前の狛犬である。明治13年に奉納された狛犬は、石工、内藤留五郎の手によるものである。
  神代7
 鳥居の右手に青面金剛が祀られている。六臂の合掌像である。後ろの手が長い。
  神代8
 邪鬼と三猿である。邪鬼は隙を伺っているのか。元文年間の作である。
  神代9

 深大寺へ向かう途中の路傍に、実をたくさんつけた花梨の木があった。

  神代10

 深大寺境内に祀られている角大師である。角大師は元三大師が疫病神を追い払った際に化身した鬼の姿という。疫病退散を祈り、帰途に着いた。

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