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Landscapes by the roadside

路傍学会


煉瓦のLandscape 21

北区 十条界隈の煉瓦構造物
 昨年927日号で、陸軍板橋火薬製造所跡に残る煉瓦構造物を報告したが、今号では、北区十条台界隈の煉瓦構造物を報告する。
  81十条台1丁目
 北区十条台一丁目、埼京線(赤羽線)原町踏切から線路に沿ったコンクリート塀が見える。
  82十条台1丁目
 裏側から見ると煉瓦が積み上げられている。モルタルで覆われた煉瓦塀だったのだ。煉瓦塀は、明治38年に小石川から移転してきた東京砲兵工廠銃包製造所の西側の敷地境界の塀であった。現地の説明板によるとこの塀で使用されている煉瓦は、金町煉瓦製造所製であるという。20171231日号で報告した葛飾区にあった旧三菱製紙中川工場煉瓦工場で使われていた煉瓦と同じ製造所のものである。
  83十条駐屯地
 銃包製造所の跡地の一部は自衛隊の十条駐屯地となっている。
  84旧変圧所
 十条駐屯地の東側には一般開放されている広場がある。広場の奥に煉瓦構造物がある。
  85旧変圧所
 変圧所として建設された煉瓦造平屋の建物を利用したモニュメントである。
  86旧変圧所
 変圧所らしく碍子が並んでいる。
  87南大橋
 中十条と王子を結ぶ陸橋南大橋である。
  88ちんちん山児童遊園
 この陸橋の下にちんちん山児童遊園がある。
  89ちんちん山児童遊園
 石のアーチは軍の施設を結ぶ鉄道のトンネルのアーチである。要石には、団子を三角形に並べ、その上にもう一つ重ねたようなマークがある。砲弾を4つ組み合わせたもので、砲兵工廠の標識である。
  90十条駐屯地
 駐屯地ではドローンの飛行は禁止されている。
  91北区中央図書館
 十条駐屯地の東側に北区中央図書館がある。この図書館も煉瓦造の倉庫を活用している。
  92北区中央図書館
 大正8年竣工の倉庫は、重厚な雰囲気である。
  93北区中央図書館
 図書館内のカフェの屋根裏である。鉄骨で屋根を支えているのだ。
  94ルーペの博物館
 中央図書館近くの小路の路傍にルーペ博物館がある。見学無料とある。興味はあるのだが、何となく足を踏み入れにくい。
  95狸最中 王子
 王子駅へ向かう途中にある和菓子屋である。王子と言えば狐だが、狸の最中もあるのだ。
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  2. 煉瓦
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青面金剛のLandscape 323

板橋区 小豆沢界隈の青面金剛
  61小豆沢4丁目
 板橋区小豆沢四丁目21番の路傍、ブロック塀が凹んだ所に屋根がかけられている。鈴緒のような紐も見える。
  62小豆沢4丁目
 銅葺き屋根の下に青面金剛と庚申塔が祀られている。
  63小豆沢4丁目
 ショケラを持つ六臂の剣人である。側面には「わたしば、あかばね 道」とあり、道標として造立されたものである。
  64小豆沢4丁目
 精緻な彫りである。裏面を覗き込んでみると明治36年と読み取れた。
  65小豆沢2丁目
 小豆沢二丁目36番の路傍、万年塀の中に祠的な空間がある。
  66小豆沢2丁目
 中には表面が妙に滑らかな印象の青面金剛が祀られている。
  67小豆沢2丁目
 腕がおかしくないか。前腕がえぐられたようにも見える。頭に蛇が巻き付いている。元の姿を見てみたかった。延享年間の作である。
  68小豆沢2丁目
 万年塀の下のわずかな隙間に菫の花が咲いていた。
  69小豆沢2丁目
 同じく小豆沢二丁目5番の路傍、スーパーの前のお宅の石塀に窪みがある。
  71小豆沢2丁目
 その中に青面金剛が祀られている。合掌した手先が欠けているが、その他には傷みの少ない綺麗な像である。元文年間の作である。
  72小豆沢2丁目
 鶏も丁寧に彫られている。
  73小豆沢公園
 小豆沢三丁目、小豆沢公園である。2015627日号で報告した戸田橋の親柱の横に弓道場の案内看板がある。
  74小豆沢公園
 弓道場の裏手である。石塔が二つ見える。
  75小豆沢公園
 これは正徳四年に地元の人々が造立した庚申塔である。右の石塔は、上部が折れてしまっているが、三猿が浮彫りにされており、庚申塔だろう。公の施設の中に庚申塔があるのは何故だろう。弓道場の西には寺院があることと関係があるのかもしれない。
 今号では板橋区小豆沢界隈の青面金剛を報告したが、生花や榊が供えられるなど、傷んでいるものであっても、地域の方々に丁寧に、大事にされていることが分かった。
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塚のLandscape 109

北区中十条 十条富士塚(その2)
  01十条富士
 北区中十条二丁目の路傍である。近くの歩道橋からの眺めである。道路の拡幅が進み、手前にはブルーシートに覆われた所がある。ここには2年ほど前まで、富士塚があった場所である。ブログ『古墳なう』で、旧岩槻街道の整備によって十条富士塚が再整備されること知り、やって来た。
  02十条富士
 これは2014年9月28日号で報告した当時の十条富士塚である。鳥居の先に直線的に頂上へ至る階段があった。
  03十条富士
 かなり急な階段であった。古墳と推定される塚を利用したと説明板にある。
  04十条富士
 山頂には石祠が鎮座していた。
  05十条富士
 現在、この石祠はネットフェンスに守られて路傍に鎮座している。
  06十条富士
 以前は2013年に富士山が世界遺産に登録されたことを祝う看板も設置されていた。
  07十条富士
 すっかり様子が変わってしまった。
  08十条富士
 これは現地に掲げられている整備イメージ図である。面積は半分以下になり、富士塚は西へ移動するようだ。
  09十条富士
 半分以下の面積で以前の高さを確保するため、石祠は塚ではなく、コンクリート製の構造物の上に鎮座する形になる。どのような姿となるのか気になるところである。
  10十条富士
 これは近くにあるNTT柱である。富士とある。富士塚がこの地域のアイデンティティーとなっていることの証左である。富士塚の再整備が終了したら、改めて参拝に来るとしよう。
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青面金剛のLandscape 322

北区赤羽北 穀蔵稲荷 満蔵院
  41穀蔵稲荷
 北区赤羽北一丁目、坂の途中の路傍に社の赤い屋根が見える。
  42稲荷の坂
 神社前の坂道には「稲荷の坂」の標柱が建っている。この坂道は赤羽北一丁目から赤羽台四丁目まで続いているが、坂の途中にあるこの神社に因み「稲荷の坂」ともよばれるようになったという。
  43穀蔵稲荷
 穀蔵稲荷である。石鳥居は大正7年の建立。江戸時代にはこの地には郷蔵があったという。「穀蔵」の名は郷蔵に由来するようだ。
  44穀蔵稲荷
 境内に入ると右手に庚申堂がある。
  45穀蔵稲荷
 左端の青面金剛である。六臂の合掌像である。顔は傷んでいる。
  46穀蔵稲荷
 邪鬼と三猿である。菱形の三猿は不言、不聞、不見の区別がつきにくい。宝永年間の作。
  47穀蔵稲荷
 これは庚申待供養塔の三猿である。この三猿も区別がつきにくい。こちらは元禄年間の作である。上の青面金剛より造立年は1年早い。同じ石工の手によるものかもしれない。
  48満蔵院
 穀蔵稲荷近くの環八の路傍に満蔵院がある。
  49満蔵院
 墓地の手前に小堂が二つ並んでいる。
  50満蔵院
 左の堂である。
  51満蔵院
 青面金剛尊の扁額である。
  52満蔵院
 祀られている青面金剛は大分傷んでいるが、ショケラを持つ六臂の剣人である。割れを修復した跡もある。今でこそ、堂に守られているが、この青面金剛も厳しい時代を経てきたのではないか。造立は天明年間である。
  53満蔵院
 隣の堂には、柔和なお顔の地蔵尊が祀られている。享保年間の作である。この後、環八を板橋方面へ向かった。
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神社のLandscape 264

江東区牡丹、古石場界隈の神社
 20181117日号で、江東区牡丹一丁目にある黒船稲荷神社について報告したが、今号では、牡丹、古石場界隈の神社を紹介したい。
  21妙榮稲荷神社
 江東区古石場一丁目の小路に入ると、路傍に赤い幟が並んでいる。
  22妙榮稲荷神社
 妙栄稲荷大善神である。妙栄稲荷は、当地に抱屋敷を構えていた松平越中守の屋敷神であったという。
  23於三稲荷神社
 江東区牡丹一丁目の路傍に鳥居がある。
  24於三稲荷神社
 普通のお宅の入口ようにも見えるが、門柱に「於三稲荷」と「古木弁財天」とある。お邪魔してみた。
  25於三稲荷神社
 参道の奥には二つの社が並び建っている。社殿は溶岩を積み重ねた上に鎮座している。奥が古木弁財天、手前が於三稲荷である。於三稲荷の創建の年代や詳しい経緯は不明だが、「怪談・阿三(おさん)の森」の舞台とされる神社である。
  27於三稲荷神社
 境内は大変綺麗に管理されている。入口近くには水琴窟もあった。
  26牡丹町公園 牡丹
 牡丹二丁目にある牡丹町公園では、地名に因んで植えられた牡丹が綺麗な花を咲かせていた。
  28二社神社
 江東区古石場二丁目の路傍、二社神社の社号標がある。この路地が神社の入口なのだろうが、どう見ても正面に見えるお宅のアプローチである。牡丹一丁目の於三稲荷神社同様、お参りするのを若干躊躇してしまう。
  29二社神社
 遠慮気味に参道を進むと鳥居が現れる。二社神社は、白龍大明神と塩竈大神を祀っている。
  30二社神社
 境内にはかつて公孫樹の大木があったが朽ちてしまったという。その後継樹となる、仙台市秋保神社の銀杏から出芽した幼木に小さな葉が芽吹いていた。
  31住吉神社
 江東区牡丹三丁目の路傍、牡丹住吉神社である。牡丹住吉神社は、享保4年に当地周辺が佃島の漁民の網干場となったことから、佃島住吉神社の分祀として創建されたという。
  32住吉神社
 玉垣である。路傍学会も足を運んだことのある居酒屋の名も見える。
  33住吉神社
 力石である。中央の石には、「ちから姫」さんのブログで目にする「神田川徳蔵」の名が刻されている。
  34住吉神社
 この「東光石」と名付けられた力石には「旧久世大和守別邸庭石」とある。岩崎弥太郎が「深川親睦園」を作るために、荒廃していた久世大和守下屋敷跡地を買い取ったのは明治11年であるから、それ以前に持ち出されたのだろうか。この石が奉納されたのは昭和29429日とある。その間、この石はどこにあったのだろう。路傍学会の興味は尽きない。力石は江東区の民俗文化財に指定されている。
  35住吉神社
 これは古い玉垣の石材である。右側の笹の葉の陰に見える洲崎二葉は、洲崎遊郭の見世の屋号であろうか。「魚三」などは、新しい玉垣にも同じ名前が見られる。
 今回は、江東区牡丹、古石場界隈の神社を報告した。若干入りにくい神社もあったが、いずれの社も地域の方々に大切にされていることが実感できた。
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  2. 神社
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橋のLandscape 30

横浜市鶴見区生麦 新、旧国道架道橋
  02国道駅
 横浜市鶴見区生麦五丁目、旧東海道の先に鶴見線の架道橋がある。停車している電車が見える。
  03国道駅
 架道橋の下にはぽっかり穴が開いている。国道駅の入口である。
  04国道駅

 高架下は薄暗い。以前報告した、京成電鉄の博物館動物園駅に似た空気感である。

  05国道駅

 反対側を見ると、高架下は住居として利用されているようだ。先に見える鉄橋は鶴見川に架かるものである。

  06旧国道架道橋

 この架道橋は、「旧国道架道橋」という。

  07国道駅

 駅通路に入ると釣船屋がある。ドラマの中で釣船屋のモデルにもなったことがあるという。

  08国道駅 やきとり

 ベニヤ板でふさがれた店舗が多いが、営業を続けている居酒屋があった。その名も「国道下」である。

  09国道駅

 画面左手が国道駅の改札口である。高架下の天井は高く、アーチが美しい。

  10国道駅

 改札口に掲げられている危険物持込みを禁止する看板である。「多量のマッチ」に時代を感じる。

  11国道駅

 改札口からホームへ至る階段も薄暗く、独特の雰囲気である。

  12国道駅

 ホーム上の鉄骨のカーブにも昭和レトロ感が漂う。

  13国道駅

 駅通路の第一京浜(国道15号線)側である。不動産屋の看板がある。いつ頃まで営業していたのだろうか。かつて、国道駅の高架下には「臨港デパート」と呼ばれる商業施設があり、食品、玩具、洋服、雑貨など、さまざまなものが販売されていたという。

  14新国道架道橋

 第一京浜側の架道橋は「新国道架道橋」である。昭和5年に開業した国道駅は、まさに昭和のまま時が止まったような空間であった。

  01和光海事

 鶴見区鶴見中央五丁目、旧東海道の路傍に釣り餌を商っている商店がある。鄙びた風情で、ここでも時が止まっているかのようだ。

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青面金剛のLandscape 321

越谷市蒲生愛宕町 蒲生愛宕町第二会館前
  21葛西用水 青柳久伊豆神社
 草加市青柳、葛西用水に架かる上中央橋から、331日号で報告した青柳久伊豆神社の社殿の屋根が見える。葛西用水の護岸は石張りに改修されている。
  22葛西用水
 上中央橋から下流方向を見ると、左側の護岸はまだ土の法面である。路傍学会はこのような護岸が好きだが、洪水対策上、改修はやむを得ないのだろう。
  23越谷市伊原 葛西用水
 越谷市伊原二丁目の路傍に石祠がある。
  24越谷市伊原 葛西用水
 男体八幡神社とある。
  25伊原2丁目 古綾瀬川
 この道を西へ進み、脇に入ると古綾瀬川が流れている。
  26伊原2丁目 馬頭観音
 古綾瀬川近くの路傍に馬頭観音が祀られている。八臂の馬頭観音である。寛政年間の造立だが、傷の少ない綺麗な像である。
  27蒲生愛宕町 綾瀬川
 古綾瀬川を辿り、綾瀬川に出た。
  28蒲生愛宕町
 左岸の歩道を、以前報告した「蒲生の一里塚」方面に進むと、土手の下に蒲生愛宕町第二会館がある。
  29蒲生愛宕町
 会館の前に石塔が3基並んでいる。右は、均整の取れた六臂の合掌像である。正徳年間の作。中央は、「これよりぢおんじミち 四里」と刻まれた道標である。幕府からも帰依を受けたさいたま市岩槻区にある慈恩寺への道標である。左は塞神塔である。紀年銘は見当たらない。
  30蒲生愛宕町
 中央の道標の上には観音菩薩像が載っている。読みにくいが左縁に寛保の文字がある。今回は、草加市青柳から越谷市蒲生愛宕町にかけて散策した。しみじみと見どころの多いエリアであった。
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  2. 青面金剛
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橋のLandscape 29

江東区 都市景観重要建造物
  1001 (1)東富橋
 江東区牡丹三丁目、大横川に架かる東富橋が見える。昭和5年に架橋された震災復興橋梁で、単径間の鋼製トラス橋だ。青緑がかったグレーの塗装である。
  1001 (2)東富橋
 橋梁本体は「深川鼠(ふかがわねずみ)」、高欄は「消炭色」と呼ばれる色である。「深川鼠」は、「浅葱色」の彩度をさらに抑えた色で、江戸時代後期に深川で流行した色だという。
  1001 (3)八幡橋
 東富橋を渡り北上すると、富岡二丁目の脇道の先に20145月に報告した重要文化財に指定されている八幡橋(旧弾正橋)が見えた。
  1001 (4)亀久橋
 さらに北上すると、仙台堀川に架かる亀久橋が現れる。この橋も単径間鋼製トラス橋で、ワーレントラスという構造形式に垂直材を足している。
  1001 (5)亀久橋
 開口部はアーチ状で、橋門構と呼ばれる部材に施されたデザインもモダンである。
  1001 (6)亀久橋
親柱にはアールデコ調のステンドグラスがはめ込まれている。夜間は照明が灯されるようだ。
  1001 (7)平野1丁目
 亀久橋を少し西に進むと、平野二丁目の路傍、ビルの壁面に何かいる。
  1001 (8)平野1丁目
 ワーッ!“$△●%□×$▼#!”UFOに乗った宇宙人がビルに侵入しようとしているではないか。
  1001 (9)福壽橋  
 宇宙人から逃れて仙台堀川を東に向かうと、木場公園の東の大横川に福壽橋が架かっている。昭和4年に架橋された単径間鋼製トラス橋である。トラスを補強する部品と橋の構造材とはクリーム色と鈍い鶯色のツートンカラーで、このカラーリングも面白い。
  1001 (10)福壽橋
 橋詰広場には日時計が設置されている。日時計の文字盤にある図形は何だろうか、と考えたら、江東区の形であった。
  1001 (11)萬年橋

 清澄二丁目、小名木川に架かる萬年橋である。昭和5年に架けられた単径間の鋼製アーチ橋である。アーチが二重になり、左右のアーチを繋ぐ部材も優美なアーチを描いている。

 今号で報告した四橋は、地域のランドマークとしての役割や、歴史的景観への貢献や建造物としての個性を評価され、平成16年に江東区の都市景観重要建造物に指定されている。

  1001 (12)芭蕉稲荷

 萬年橋を渡り、左に入ると芭蕉稲荷神社がある。境内には芭蕉庵跡の石碑が建つ。芭蕉の旧宅跡に大正時代に創建された神社である。

  1001 (13)展望広場

 画面右手は、隅田川のカミソリ堤防である。正面は芭蕉庵史跡展望庭園の階段である。

  1001 (14)芭蕉像

 展望庭園には芭蕉像がある。元禄2年春、芭蕉は芭蕉庵を売却し、採茶庵(さいとあん)から奥の細道へと旅立ち、船で千住に向かった。

  1001 (15)隅田川

 芭蕉は今も、隅田川の水面を見つめている。

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青面金剛のLandscape 320

横浜市神奈川区子安通 遍照院
  81子安台1丁目 浅野総一郎像
 横浜市神奈川区子安通三丁目、国道15号線を歩いていると、高台の上に大きな銅像が建っているのが見える。調べてみると、京浜工業地帯を築いた実業家、浅野総一郎の銅像であった。
  82遍照院
 銅像を眺めたその先、国道15号線の路傍から踏切の先に山門が見える。
  83遍照院
 遍照院の寺号標である。
  84遍照院
 遍照院の山門である。山門の直前に京急の踏切があり、「踏切寺」とも呼ばれている。遍照院の境内の背後にはJR東海道線が走っており、線路に挟まれた形の寺院である。山門の両側に庚申塔が祀られている。
  85遍照院
 こちらは向かって左手側である。
  86遍照院
 線路側の青面金剛である。欠損しているところもあるが、ショケラを持つ六臂の剣人像である。上部も欠けてしまった。享保年間の作である。
  87遍照院
 山門側の青面金剛である。こちらもショケラを持つ六臂の剣人像である。表面はざらついている。安永年間の作。
  88遍照院
 こちらは山門の右側である。太陽の位置が悪く、右の青面金剛に影が掛っているが、享保年間に造立された、六臂の合掌像である。
  89遍照院
 山門側の青面金剛である。ショケラを持つ六臂の剣人で、二童子を従えている。精緻な彫りで、バランスのとれた構図である。傷も少なく、優品である。
  90遍照院
 三猿の間に二鶏がいる。ここも丁寧な彫りである。
  91遍照院
 山門の内側である。右に見える江戸時代から伝わる六地蔵を守る屋根は、創建550周年記念として奉納されたものである。
  92遍照院
 六地蔵の左にある阿弥陀如来と地蔵菩薩である。中央の石仏は、下部に三猿が彫られており、地蔵を主尊とする庚申塔である。元禄年間の造立である。
  93遍照院

 右の地蔵菩薩にも「奉造立庚申供養二世安楽敬白」の銘がある。この地蔵菩薩も元禄年間に造立された庚申塔である。

 遍照院の山門は、創建以来、堂宇を焼失した二度の火災にも焼けることなく往時の姿を今に伝えている。踏切ができたことを除いて、東海道からの眺めは江戸時代から変わっていない。
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神社のLandscape 263

草加市青柳 白狐稲荷神社、青柳久伊豆神社
  01白狐稲荷神社
 越谷市川柳にある智泉院から草加市青柳の青柳久伊豆神社へと向かう途中、草加市青柳八丁目の路傍に白狐稲荷神社が鎮座している。
  02白狐稲荷神社
 扁額である。
  03白狐稲荷神社
 社殿前の狐様である。こちらは阿形。
  04白狐稲荷神社
 こちらは吽形である。ユニークな狐様にお参りして、青柳久伊豆神社へ向かった。
  05青柳久伊豆神社
 草加市青柳四丁目、葛西用水の手前に青柳久伊豆神社が鎮座している。境内の松が無残なことになっている。神社の隣接地で宅地の分譲が予定されているからかもしれない。
  06青柳久伊豆神社
 さっぱりとしてしまった境内である。
  07青柳久伊豆神社
 松は上部が切り取られ、痛々しい。
  08青柳久伊豆神社
 拝殿前には石花瓶が奉納されている。
  09青柳久伊豆神社
 社殿前の狛犬は帽子を被りユーモラスである。
  10青柳久伊豆神社
 基壇の上には力石も奉納されている。
  11青柳久伊豆神社
 境内の隅にあるこれらの石も力石だろうか。
  12青柳久伊豆神社
 これはどうだろう。うーむ、よく分からない。
  13青柳久伊豆神社
 社殿の西側には青面金剛が祀られている。
  14青柳久伊豆神社
 六臂の合掌像である。廃仏毀釈の嵐が過ぎた明治8年に造立されたもので傷みの少ない、綺麗な像である。
  15青柳久伊豆神社
 邪鬼と三猿である。邪鬼は瞑目している。三猿は菱形パターンである。参拝を終えて、葛西用水を辿って次の目的地に向かった。
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