青面金剛のLandscape 426
以前、日光御成街道を通って岩槻宿を訪れ際に、雷雨に遭遇して退散を余儀なくされた。今回は、そのリベンジである。
岩槻駅から旅を再開した。
さいたま市岩槻区本町三丁目の交差点に丹過庚申堂がある。右の道路の先には東武の踏切があり、その右側に見える樹林は、この後向かう愛宕神社である。
庚申堂内を覗かせていただくと、綺麗な六臂の青面金剛が合掌していた。宝永年間の作。
手水鉢横の碑である。上部に「御大典記念」と横書きされ、その下、右側に「庚申會設立」、中央に「土盛奉仕碑」とある。昭和の御大典を記念して庚申会が設立され、境内に土を盛ったのだろうか。昭和3年の造立である。この碑の左に力石が2つ並んでいる。左の力石には正徳の文字が見えた。
庚申堂から見えた愛宕神社である。境内は高い擁壁の上にあるようだ。
擁壁を回り込んでみると、石段の上に社殿が見えた。江戸時代、岩槻城下町は、長さ8㎞に及ぶ「大構」と呼ばれる土塁と堀で囲まれていた。廃城後、大構は次第に姿を消したが、愛宕神社が鎮座する土塁は貴重な遺構として市指定の文化財となっている。
愛宕神社から日光御成街道に出て100m程歩くと、大龍寺の参道入口がある。
寺号標の手前に六地蔵と青面金剛が祀られている。六臂の合掌像であるが、向かって右の上手でショケラを掴む、岩槻でよく目にするタイプである。
邪鬼は正面を向き、M字型に肘を張っている。享保年間の作。
山門の奥に大龍寺の本堂がある。
本堂の左を進むと小堂がある。
この堂内に祀られている青面金剛である。剣、ショケラを持つ六臂像だが、大変緻密な彫りである。主尊の指が彫り込まれ、日輪、月輪周りの瑞雲は立体的で、主尊に纏わる龍は玉を掴み、ショケラは袂をくわえている。
邪鬼は獅子のようにうずくまる。
下半身が欠落しているのが残念でならない。
大龍寺から街道に戻ると本町六丁目の路傍にクロマツの大木が見えた。風格が漂う。
岩槻城下を巡る旅はまだまだ続く。
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界隈のLandscape 162
高架工事のフェンスにこのような図が掲げられていた。荒川放水路に対して直角で渡るようにするため、軌道が修正されたことを示す図である。立石駅も今より青砥側に位置していたようだ。旧軌道の跡地を訪ねてみた。
立石第3号踏切から押上方を見たところである。現線路は緩く右へカーブしているが、旧軌道はほぼ直進していたのだが、その痕跡は窺えない。
葛飾区立石八丁目、上の図にも描かれている西円寺の門前である。
こちらは同じく立石八丁目に鎮座している諏訪神社である。西円寺と諏訪神社の間を旧軌道が通っていたらしい。
旧軌道は、現奥戸街道を通っていた。奥戸街道のこの区間は、畿内と常陸国国府を結ぶ古代東海道のルートと重なる道である。
立石一丁目には立石仲見世がある。こうした雰囲気も再開発で失われてしまうのだろうか。
平和橋通りと交差し、踏切で現軌道を越える。丁度、京急の車両が通過している。
現軌道を越えると四つ木二丁目に入る。この道路上を京成の電車が走っていたのだ。ルート変更で専用の敷地に軌道を敷いた新設軌道に変わり、この区間にあった併用軌道は解消された。
四ツ木一丁目の路傍にこのような物があった。一体何だろう。
旧軌道と旧中井堀の交差部である。右が旧軌道跡、左が旧中井堀である。立石駅の高架工事現場にあった軌道修正の図には、「中井堀の鉄橋の遺構と思われるレンガの発見場所」が表示されていたが、現地にそれらしい表示物を見つけることは出来なかった。
旧中井堀を少し歩くと、路傍学会には嬉しい地酒専門店があった。1本買いたいところだが、まだ先があるので諦めた。
旧軌道と旧中井堀の交差部から西へ延びる道は、以前報告した西光寺の参道である。
旧軌道はこの先は市街地となっていて、そのルートを辿ることは難しい。
これは看護専門学校である。古い地図を調べてみると、旧軌道はこの学校の敷地を通っていた。この看護学校の裏手は荒川放水路(現荒川)となる。
荒川を渡った八広側の荒川土手から四つ木方向を見たところである。右手は現軌道の京成押上線の鉄橋である。画面の左手、荒川対岸の首都高の下には看護学校の校舎も写っている。大正元年に開通した京成電気軌道株式会社の軌道は、看護学校付近から手前方向にある八広駅へ向かっていたのだ。
これは荒川土手から見た八広駅である。旧軌道は、右手の家辺りを通って押上に向かっていたのだろう。
荒川放水路架橋工事は大正10年に着手され、大正12年7月に荒川放水路架橋工事が完成し、同月に京成荒川駅(現八広駅)が開業した。京成の旧軌道跡を辿ってみたが、軌道の変更は百年以上前の事業であり、それ以前の痕跡を見つけることは出来なかった。
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界隈のLandscape 161
フェンスに沿って進み、坂道を下り、公園に入ると案内板があるが、案内板の半分以上の面積を使って禁止事項が表示されている。公園管理の苦労がしのばれる。
公園の外に高い屋根の家と長屋門が見える。行ってみよう。
安蒜家の長屋門である。この長屋門は、天保11年に建てられ、下総地方西部では最も古い長屋門という。江戸時代末期の建築技術を伝える建造物として松戸市の文化財に指定されている。なお、個人宅のため見学は不可である。
長屋門背後の母屋もかなり巨大である。
公園を出て武蔵野線の高架下をくぐり、坂道の途中で折り返すと、突き当りに石塔が見える。
三面六臂の馬頭観音である。
顔と頭の上が剥落している。
馬頭観音前の細い道を辿ると香取神社の前に出る。
境内の右手には富士嶽神社の碑が建つ富士塚がある。
境内には石祠型の庚申塔もあった。
扁額には古銭を打ち付けて社号が記されていた。
拝殿の絵馬である。筆を持つ人物の周りには菊が描かれている。菊慈童だろうか。
香取神社の前の道を東へ進むと突き当りに石塔が建っている。
文字が薄くなっているが、青面金剛碑であった。天保年間の造立である。村の辻に建つ庚申塔だったのだろう。
千駄堀を歩く旅はまだ続く。
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橋のLandscape 34
石段を上がると、右手に東京都の天然記念物に指定されている公孫樹がある。上の江戸名所図会で石段の上にあった拝殿の右側に描かれている大木はこの公孫樹である。
本殿の手前には蹲踞がある。うーむ、蹲踞で手を清めるのが参拝の作法なのだろうか。
蹲踞の傍に不動明王が参拝者をきっと見つめている。
戦災に遭った社殿は昭和44年に再建されている。御神体は、60歳を迎えた徳川家康が自ら命じて造らせた等身大の寿像である。
向拝脇の壁には漆喰の龍が見える。社殿を火災から守るためのものだろうか。
石段脇の石垣にはムラサキカタバミが咲いていた。
日比谷通り近くの参道を写したものである。手前に石製の勾欄があり、向こう側に勾欄は無く、玉垣となっている。手前の勾欄は石橋のものだろう。
これは明治40年に刊行された「芝公園之図」である。小菅大佐銅像の文字の右側、南北に水路があり、東照宮の参道を横切っている。今昔マップで古い国土地理院の地図を見ても、やはり水路があり、その水路に架かる橋が描かれている。
ネット上には、この勾欄が写った明治時代の絵葉書もあった。この手前に見える勾欄は、その水路が姿を消し、石橋が不要となって移されたのだろう。では、橋の両側にあったもう一つの勾欄はどこに?
これは増上寺の三解脱門近くの芝公園内に、東京オリンピック、パラリンピック開催に合わせて造られた「おもてなしの庭」の鎧垣である。鎧垣は、竹の表と裏を交互に並べることで色の違いを楽しめる竹垣である。
この鎧垣を通ると石製の勾欄がある。中央部が欠けてしまっているが、東照宮の参道で見たものと同形である。何故この重い勾欄の片側だけが東照宮から数百メートル離れたこの公園の一角にあるのか、路傍学会の興味は尽きない。
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青面金剛のLandscape 425
早宮一丁目の公園には、かつて早宮中央通りは「下練馬道」と呼ばれた幹線道路であったとの説明板があった。
早宮二丁目、開進第一小学校前に石塔がある。
上部に日輪、月輪があり、下部に薄くなっているが三猿が見える。中央部は完全に削られてしまっているが、庚申塔だったのだろう。
ここから西へ向かうと春日町一丁目の擁壁の下に青面金剛が祀られている。
六臂の合掌像にアヤメとハコネウツギの花が供えられている。明和年間の作である。
早宮二丁目、本寿院の門前である。
境内に祀られている僧形馬頭観音である。衣を着て、数珠を持ち座している馬頭の姿は珍しいという。文政年間の作。
この後、平和台駅まで歩き、帰途に就いた。
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神社のLandscape 316
本殿の扉には、相生の松の下で箒と熊手を持つ老夫婦の姿が彫られている。縁起の良い高砂の一場面である。坊辺田の水神宮にも高砂をテーマとした扉があった。
向かって左の脇障子は「猩々」。親孝行者には酌めども尽きぬ酒壷が与えられる。
右の脇障子は「司馬温公の甕割り」である。命はどのような高価なものよりも大切なのである。
命の大切さを思いながら、実籾駅まで歩き、帰途に就いた。
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神社のLandscape 315
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青面金剛のLandscape 424
5月6日号の続きである。
如意輪寺から西東京市泉町二丁目内の道を進む。
和泉二丁目の南端に路傍祠がある。
祠内には丸彫りの青面金剛が祀られている。元々、六臂像であったのだが、米軍の爆撃によって向かって右二腕と左一腕が失われたという。
邪鬼は猫のようにうずくまっている。「八丁ぼり松屋町いづみや三郎左衛門」の作である。邪鬼の顔の横には「学業成就」「通学安全」のランドセルお守りがある。疋野神社とあるが、熊本で求めたものだろうか。
田無一丁目には田無神社が鎮座している。
境内には楠木正成公の石像が祀られている。石像の一部が欠けているのは、楠木正成の武功にあやかろうと出征した若者が像を砕いてお守りとしたためという。
田無神社の西側に総持寺がある。
本堂前の植込みの中に立派な石灯籠がある。
竿を見ると「武州東叡山 俊明院殿 尊前」とある。俊明院は10代将軍徳川家治の諡号である。家治の霊廟前に濃州岩村城主が奉納したものである。
無縁仏等を集めた墓地の一画に青面金剛が3体見える。
大型の青面金剛は三面六臂の合掌像である。顔が傷んでいるのが残念。宝永年間の作。
中央に見えるのは地蔵尊だが、顔に穴が穿たれている。青面金剛が痛めつけられても地蔵尊が傷んでいるのはあまり見たことがなかったが、この地蔵尊は折れた跡もある。廃仏毀釈の大波をくぐり抜けてきたのだろう。
地蔵尊の左側の青面金剛も顔に穴がある。
手前の小振りな青面金剛は傷みが少ない。この六臂の合掌像は元禄年間の作である。
この後、西武線の田無駅まで歩き帰途に就いた。
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界隈のLandscape 160
豊島園駅はホグワーツ特急の終着駅である「ホグズミード駅」へと改装中であった。オープンが待ち遠しい。
庚申講は江戸時代、娯楽の場でもあった。庚申待を一定回数続けると庚申塔が造立される。今回は、1675年に造立された庚申塔から、最新のアミューズメント施設について報告した。
この後、ホグワーツ特急ではなく、西武の電車に乗って帰途に就いた。
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神社のLandscape 314
京成線実籾駅から歩き始めた。
習志野市実籾三丁目、県道262号の路傍、ブロック塀が窪んだ所に石塔が見える。
二十三夜塔、二十六夜塔の間に青面金剛が祀られている。六臂の合掌像で、宝暦年間の作である。
東金御成街道を長作小学校前で右折し、しばらく進むと左の路傍に長屋門がある。右半分は蔦に覆われている。
長屋門の先に諏訪神社西参道入口がある。参道はかなりの急勾配である。
坂道を上り終えると右手に鳥居が見える。二の鳥居である。
この鳥居付近からは、水が張られた水田の向こうに幕張の超高層ビル群を望むことができる。
境内は静かな空気が流れていた。
拝殿の右手に祠がある。
祠内には子安観音が祀られている。
拝殿では迫力のある龍が参拝者を迎えてくれる。成田山新勝寺の釈迦堂などを手掛けた嶋村俊表の作である。
拝殿前の狛犬はピカチュウのように耳が大きい。嘉永年間の奉納である。
本殿には見事な彫刻が施されている。
左側面は、桃の実を持ち、右脇には鹿を従えている男性が雲の上に乗っている。寿老人だろうか。
左の脇障子は、象が畑仕事を助ける「大舜」である。
背面は「普門品」の言葉を菊の葉に書くと谷水は霊薬の川となったという「菊慈童」だろう。
右側面は、不老長寿の桃を持つ「西王母」である。これらの彫刻は、江戸後期に活躍した竹田重三郎の作と推定されている。
この後、また急勾配の西参道を下りて次の訪問先へ向かった。
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