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Landscapes by the roadside

路傍学会


地蔵尊のLandscape 58

文京区向丘 瑞泰寺、正行寺
  向丘①
 文京区向丘二丁目、瑞泰寺の門前である。
  向丘②
 山門の門柱の上には象が載っている。この象には牙があるが、左側の門柱の上の象には牙は無い。
  向丘③
 境内に入ると大きな地蔵尊が目に入る。瑞泰寺は東都六地蔵第一番の礼所である。
  向丘⑤
 201596日号で報告した西日暮里の浄光寺の門前の石柱である。浄光寺は三番目の六地蔵であった。
  向丘④
 瑞泰寺の六地蔵は、関東大震災で破損し、さらに空襲によって焼失してしまった。今ある地蔵尊は、昭和61年に再建されたものである。
  向丘⑥
 地蔵尊の台座の裏側に手水鉢がある。よく見ると、六地蔵第一番と刻されている。かつて、六地蔵の参拝者が用いた手水鉢である。
  向丘⑦
 本堂前の地蔵尊である。左下に「ぼけ地蔵」とある。
  向丘⑧
 この地蔵尊にお参りすればボケ封じのご利益があるのだ。合掌。
  向丘⑨
 門柱の象の後ろの家である。歴史を感じさせる下見板張りの家である。
  向丘⑩
 二階の花台窓手摺には笹葉が透かし彫りされている。剥げたペンキの具合も良い。
  向丘⑪
 本郷通りを歩いていると、文京区向丘一丁目の路傍に「唐がらし地蔵 正行寺」の看板がある。
  向丘⑫
 山門を通り境内に入る。
  向丘⑬
 「とうがらし地蔵」と刻された石柱が傍らに建つ堂がある。
  向丘⑭
 堂内をガラス越しに撮影してみた。とうがらし地蔵である。咳の病に霊験あらたかなことで知られている地蔵尊である。
  向丘⑮
 墓地の入口にある天下泰平国土安全供養仏にお参りして、帰途に着いた。
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  2. 地蔵尊
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塚のLandscape 97

文京区本駒込 駒込富士神社
  駒込富士神社①
 文京区本駒込五丁目、本郷通りに「富士神社入口」の案内標識がある。
  駒込富士神社②
 この信号の交差点を曲がると駒込富士神社の鳥居がある。
  駒込富士神社③
 堂々とした扁額である。
  駒込富士神社④
 鳥居越しに境内を見ると、富士塚上の社殿へと上る石段が見える。
  駒込富士神社⑤
 境内に入ると大きな榧が聳えている。
  駒込富士神社⑥
 注連縄が回してある。御神木である。
  駒込富士神社⑦
 手水鉢が二つ並んでいる。人が近づくと自動的に水が流れ出る。この神社の石造物の彫り文字には赤いペンキが差してあるが、いささか派手な印象である
  駒込富士神社⑧
 先ほど鳥居越しに見た、駒込富士を上る石段である。
  駒込富士神社⑨
 石段の右手には胎内巡りの洞穴が見えるが、柵があり近くで見ることはできない。
  駒込富士神社⑩
 石段の両側には冨士講や火消の纏が刻された碑が並んでいる。
  駒込富士神社⑪
 江戸名所図会に描かれた富士浅間社である。画面下の広い道は中山道。よく見ると、本社に至る石段両側に石碑が描かれている。石段の登り口の右に描かれている樹木は御神木であろう。江戸名所図会には「当社昔は本郷加州候の後園にありしが、寛永年中いまの地に遷さる。」とある。加賀藩の屋敷を作るにあたり当地へ遷座されたのだ。
  駒込富士神社⑫
 石段を上り、振り返ると石段の勾配が急であることがわかる。
  駒込富士神社⑬
 本殿の右手にある曽我御霊社は、仇討で有名な曽我兄弟を祀った石祠である。歌舞伎役者らが宝永年間に建立したものである。
  駒込富士神社⑭
 やぶ蚊に数か所刺された後、駒込富士前からバスに乗って帰途に着いた。
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青面金剛のLandscape 292

足立区舎人 西門寺
  西門寺①
 足立区舎人二丁目西門寺前交差点から北の方向に西門寺本堂の屋根が見える。
  西門寺②
 阿吽の仁王様が山門前で寺を守っている。
  西門寺③
 西門寺の山門である。幕府から建てることを許された赤門である。
  西門寺④
 山門の左手に小堂がある。
  西門寺⑤
 堂内には不動明王が祀られている。緻密な彫りの不動明王である。
  西門寺⑥
 不動明王の下の童子は、矜迦羅童子と制吒迦童子だろうか。狭い堂内を覗き込むことはできず、造立年は分からなかった。
  西門寺⑦
 境内には大きな石の龍の彫刻がある。寺名の「龍寶院」に因むものだろうか。
  西門寺⑧
 墓地へ向かうと、六地蔵と青面金剛が並んでいる。六地蔵は安永年間に造立されたものである。
  西門寺⑨
 青面金剛である。六臂の合掌像である。
  西門寺⑩
 左縁に壬午とある。その上が欠けているが1702年とする資料もある。
  西門寺⑪
 一邪鬼、二鶏、三猿である。邪鬼は両手を揃えて畏まっている。この後、日暮里舎人ライナーの舎人駅までうろうろ歩いて、帰途に着いた。
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  2. 青面金剛
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界隈のLandscape 46

八千代市萱田町 大和田宿界隈
  萱田町①
 八千代市萱田町、成田街道の路傍に円光院の山門が見える。
  萱田町②
 円光院の山門から向かいにある長妙寺の山門が見える。この山門の横にも銀杏の大木がある。
  萱田町③
 境内の手水鉢に近づくと、像の鼻から水が噴き出す。
  萱田町④
 本堂の左手には放火の大罪で捕らえられ、火あぶりの刑に処せられた八百屋お七の墓がある。2016827日号で報告した文京区の円乗寺にも八百屋お七の墓があったが、お七の母親が彼女の骨を探し出し長妙寺に葬ったものという。
  萱田町⑤
 悲母観音が載る台座の横には子安観音が並んでいる。
  萱田町⑥
 この寺院では痔の呪いをしてくれるようだ。
  萱田町⑦
 萱田町で見かけた信号機である。斜めの深緑色の帯が見える。最近はあまり見かけなくなったタイプである。「信号灯背面板付き信号機」と呼ぶようだ。
  萱田町⑧
 これは飯綱神社への道を示す道標である。「いつ奈大権現道」と刻まれているのだろう。この道は萱田道または権現道といわれている。
  萱田町⑨
 八千代市萱田町、薬師寺の門前である。
  萱田町⑩
 境内の奥には、子安観音が並んでいる。大和田宿界隈は子安観音信仰が大変厚いところである。
  萱田町⑪
 大和田宿の東端に鎮座する時平神社である。宿内の大和田側にも同名の神社がある。菅原道真を大宰府へ左遷させた藤原時平を祀る神社である。
  萱田町⑫
 境内からは東方向に北総台地を望むことができる。
  萱田町⑬
 大和田宿の探訪を終えて京成大和田駅へ向かう途中、小板橋時平神社への案内看板があった。
  萱田町⑭
 小板橋時平神社である。もう一つ時平神社があったのだ。
  萱田町⑮
 境内には平成の出羽三山参拝記念碑があった。
 3回に渡って大和田宿を紹介した。大和田宿は、江戸成田を結ぶ成田街道のほぼ中間に位置しており、成田詣での旅人が江戸を発って最初に泊まる宿場で大変な賑わいであったという。旅籠も5軒あったというが、今、往時の面影を見ることはできない。だが、子安観音への厚い信仰や出羽三山への参拝は、宿場町時代から途切れることなく現代まで続いている。
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  2. 界隈
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界隈のLandscape 45

八千代市大和田新田 大和田宿界隈
  大和田宿①
 八千代市大和田新田、新木戸交差点にあるガソリンスタンドの一画に石柱が建っている。セメントで補修されているが、「血流地蔵道」と刻されている。傍らにある説明板によると、貞福寺の本尊、血流地蔵へ案内する道標であるという。
  大和田宿②
 交差点の向かいにも石柱がある。これも途中で折れて、補修されているが「成田山」への道標である。二つの道標は、交通史の重要な文化財である。
  大和田宿③
 成田街道の路傍に鎮座する八幡神社である。新木戸の鎮守である。
  大和田宿④
 社殿の左手には、手前に金刀比羅大神碑、奥には子安観音が並んでいる。子安観音は、天保三年から平成十九年までに造立されたものである。
  大和田宿⑤
 これは平成の子安観音である。この後、令和の観音様も造立されるのだろうか。
  大和田宿⑥
 大和田新田、神明社の路傍には多くの石碑が並んでいる。
  大和田宿⑦
 馬頭観音が多いが、その中には日露戦争に徴用された2頭の馬を供養するものもあった。庚申塔や出羽三山参拝記念碑も数多く見ることができる。
  大和田宿⑧
 大和田新田、工業団地入口交差点の路傍に「おたきさん道」道標がある。船橋市金杉にある御滝不動尊へ続く道を示している。慶応元年の造立である。
  大和田宿⑨
 この道を少し進むと、石仏群が見えてくる。
  大和田宿⑩
 注連縄が巻かれた青面金剛が二基祀られている。
  大和田宿⑪
 合掌した手先が若干欠けているが、綺麗な青面金剛である。
  大和田宿⑫
 邪鬼はすっかり観念した様子である。
  大和田宿⑬
 右端の青面金剛は、ショケラを持つ剣人像である。
  大和田宿⑭
 頭に髑髏を付けた青面金剛は不適な笑みを浮かべている。この像も傷みの無い綺麗な像である。地元の人々に大切にされているのだろう。
  大和田宿⑮
 邪鬼は顔を横にして苦しそうである。猿は扇を持って何をしているのか。鶏も一つしか見えない。面白い青面金剛に出会うことができた。
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  2. 界隈
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琺瑯看板のLandscape 43

八千代市大和田新田 ラーメン店
  ラーメン店①
 八千代市大和田新田、成田街道の路傍に琺瑯看板を取り付けたラーメン店があった。
  ラーメン店②
 白熱電球と琺瑯看板でレトロな雰囲気を演出している。
  ラーメン店③
 奥の建物にも琺瑯看板がある。
  ラーメン店④
 右縁に小さな文字で台湾総督府専売局指定納入酒とある。台湾総督府があった戦前の琺瑯看板である。広島の清酒「不二寿」が台湾で購入されていたのだ。
  ラーメン店⑤
 「君子蘭」は今も販売されている三重県の清酒であるが、ダイヤ焼酎は、今アサヒビールが販売している焼酎ダイヤに繋がるものなのだろうか。
  ラーメン店⑥
 おなじみの由美かおるさんである。水原弘さんの看板は見当たらない。
  ラーメン店⑦
 ラーメン店だが学生服の看板まである。琺瑯看板の効果か、この店はかなり繁盛している様子である。
  ラーメン店⑧
 ラーメン店から東へ歩くと、路傍に石仏が集積している一画がある。
  ラーメン店⑨
 風化が進んでいるものも多いが、その中に子安観音も祀られていた。
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  2. 看板
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青面金剛のLandscape 291

足立区 伊興、古千谷本町界隈
  伊興・古千谷①
 足立区伊興四丁目の路傍、覆屋に護られた石塔がある。
  伊興・古千谷②
 青面金剛である。前垂れの下を拝見すると六臂の合掌像であった。元禄年間の作である。
  伊興・古千谷③
 右側に建つ石柱である。上方に「東ノ方」とあり、その下に「竹の塚」「千住」と刻され、距離が記されている。明治19年に道標として造立された石柱であった。
  伊興・古千谷④
 伊興四丁目で見かけた店舗である。蕎麦、天ぷら、ラーメンなど、幅広い食事を提供する店だったようだ。何を食べようかと、迷う楽しみがある店舗が姿を消していくのは寂しいものだ。
  伊興・古千谷⑤
 上の店舗の右側の道を進むと小さな社が見えてきた。
  伊興・古千谷⑥
 鳥居もある。手元の地図には表示の無い神社である。扁額も無い。境内の説明板によると「大西島八幡神社」とある。
  伊興・古千谷⑦
 鳥居の後ろに青面金剛が祀られている。六臂の合掌像である。
  伊興・古千谷⑧
 邪鬼は両肘を張って懸命に堪えている。
  伊興・古千谷⑨
 台石には数多くの盃状穴が穿たれていた。明和年間の作である。小雨が降りだした。
  伊興・古千谷⑩
 小雨の中、古千谷本町にある全学寺の門前にたどり着いた。山門の右手に石仏が見える。
  伊興・古千谷⑪
 左に青面金剛が祀られている。
  伊興・古千谷⑫
 享保年間の六臂の合掌像であるが、傷みが少なく綺麗な像である。
  伊興・古千谷⑬
 邪鬼は諦めて両手を投げ出している。
  伊興・古千谷⑭
 中央の地蔵菩薩の両側には念仏講の女性の名前が刻まれている。この後、雨が強くなり帰途に着いた。
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青面金剛のLandscape 290

世田谷区成城 祖師谷観世音堂
  観世音堂①
 世田谷区成城を流れる仙川である。
  観世音堂②
 川沿いを歩いていくと、大石橋近くにこの看板があった。「近くには由緒ある祖師谷観音堂があります。」とある。行ってみよう。
  観世音堂③
 大石橋の先、右手に樹林地が見えてくる。
  観世音堂④
 石段の先に堂が見える。
  観世音堂⑤
 正面に見えるのは祖師谷観世音堂である。左手には薬師堂がある。
  観世音堂⑥
 観世音堂は、元禄年間に再建され、中には十一面観音が祀られている。
  観世音堂⑦
 薬師堂は、祖師谷村内にあったものを明治期に境内へ移設したものである。
  観世音堂⑧
 薬師堂の左手の塚状の小山の裾をなぞるように二十数体の石仏が並んでいる。この中に二基の青面金剛が祀られている。
  観世音堂⑨
 六臂の合掌像である。主尊の右に「南 登戸道」とある。左側面には「西 府中道」とあり、道標として造立された庚申塔である。寛政年間の作。
  観世音堂⑩
 上の青面金剛の右隣にある青面金剛である。こちらも六臂の合掌像である。石材を舟形に彫り窪め、主尊を陽刻している。
  観世音堂⑪
 横から見ると、彫り窪めた様子が良くわかる。丁寧な彫りである。元禄年間の作。
  観世音堂⑫
 地蔵尊も祀れているが、造立年は読み取れなかった。
  観世音堂⑬
 石仏群の上にはまだ紫陽花が咲いていた。
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  2. 青面金剛
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青面金剛のLandscape 289

世田谷区上祖師谷 安穏寺地蔵堂
  安穏寺①
 世田谷区上祖師谷二丁目の路傍に小堂と石仏が見える。
  安穏寺②
 画面右奥の堂は、地蔵堂である。地蔵堂の前、馬頭観音とともに二基の青面金剛が並んでいる。
  安穏寺③
 二基とも六臂の合掌像である。左側の像は高さが1mを超えている。三猿の右側に「武州荏原郡祖子ヶ谷村」とある。造立年は不明。右の青面金剛は、宝永年間の作である。
  安穏寺④
 裏側から見た庚申塔である。前の道路は交通量が多く、時折路線バスも通るので、前面からの写真をうまく撮ることができなかった。
  安穏寺⑩
 地蔵堂前には、祀られている岩船地蔵尊に因む石製の舟形線香台が置かれている。その手前には南天が供えられていた。
  安穏寺⑤
 地蔵堂の前の坂道を少し上ると、安穏寺の参道、その奥に山門が見える。「武家屋敷風の安穏寺」として、「せたがや百景」に選ばれている。瓦屋根の山門と壁が織りなす風景が「武家屋敷風」なのであろう。
  安穏寺⑥
 山門である。昭和45年に再建されたものである。
  安穏寺⑦
 門扉には透かし彫りの寺紋があり、淡い桃色の縁取りである。
  安穏寺⑧
 境内から見た山門である。重厚な屋根である。
  安穏寺⑨
 山門を潜り、右手に進むと、六地蔵が並んでいる。いずれも世田谷領上祖師ヶ谷村の村民による造立である。合掌し、帰途に着いた。
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  2. 青面金剛
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地蔵尊のLandscape 57

新宿区新宿 成覚寺
  成覚寺①
 丸の内線の新宿御苑前駅で下車し、新宿二丁目を歩いた。飲み屋街で見かけた看板である。不用意に入店すると戦闘機が緊急発進してくるかもしれない。
  成覚寺②
 如何にも新宿二丁目らしい店名である。
  成覚寺③
 伏魔殿的な香りの漂う一画である。
  成覚寺④
 カラフルな鳥居を備えた酒場もあった。
  成覚寺⑤
 靖国通りに面する塀越しに寺院の屋根が見える。
  成覚寺⑥
 塀の先に山門がある。
  成覚寺⑦
 成覚寺の山門である。
  成覚寺⑧
 境内は靖国通りから石段を下る形となる。
  成覚寺⑨
 入口の石段を下ってすぐ左側の塀下に「旭地蔵」がある。三界万霊と刻まれた台座の上に露座している。
  成覚寺⑩
 十八人の戒名が刻されている。これらの戒名は宿場内で不慮の死を遂げた人達のもので、そのうちの七組の男女はなさぬ仲を悲しんで心中した遊女と客達であるという。
  成覚寺⑪
 宿場町内藤新宿の悲しい男女を供養するために造立された地蔵尊なのである。
  成覚寺⑫
 紫陽花や枝垂桜の枝で見にくいが「子供合埋碑」である。病気などで死んだ旅籠屋の飯盛女(遊女)たちの霊を供養するもので、宿主が遊女のことを「子供」と呼んでいたことから、この名が付けられたという。
  成覚寺⑬
 この合埋碑の近くには「白糸塚」もある。「白糸塚」は、遊女白糸と鈴木主水に因む悲恋物語が市村座で上演されて大当たりし、白糸役の役者が嘉永5年に奉献したものである。「すえの世も結ぶえにしや糸柳」と刻まれている。
  成覚寺⑭
 やぶ蚊の攻撃に耐えきれず、六地蔵に見送られて投げ込み寺を退散した。
  成覚寺⑮
 駅に向かう途中で見かけたホテルの入口である。面白いイラストである。
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  2. 地蔵尊
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 東京東部を拠点として、路傍の風景について学際的に考察するブログです。

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