Landscapes by the roadside

路傍学会


橋のLandscape 12

千代田区神田淡路町 昌平橋
  昌平橋①
 千代田区神田淡路町と外神田を結ぶ昌平橋から見た風景である。画面中央の八の字の構造物は、昭和7年に開通した総武線の神田川橋梁を支えている橋脚である。画面左の飲食店は、明治41年に開業し、明治45年の万世橋駅開業に伴い廃止された昌平橋駅跡を利用したものである。
  昌平橋②
 名所江戸百景「昌平橋聖堂神田川」(部分)である。昌平橋から見た湯島聖堂である。上の写真の鉄橋の橋脚の間には家が建ち並んでおり聖堂を見ることはできない。昌平橋は元の名前が相生橋であったが、孔子の生まれ故郷の昌平郷に因んで昌平橋と呼ぶようになったという。
  昌平橋③
 昌平坂を登ると江戸名所百景に描かれている聖堂の練塀が見えてくる。
  昌平橋④
 昌平坂に立ち並ぶ建物の中に淡路亭がある。ビリヤードの聖地とも言うべきところだ。坂道側から見ると2階建てだが、神田川側からみると3階建てに見える。
  昌平橋⑤
 古いヘルメットのような電力量計カバーを見よ。この会社の歴史がしみ込んでいる。
  昌平橋⑦
  坂の途中に建っている昌平坂の碑である。
  昌平橋⑥
 聖橋では東京都の手によって長寿命化の工事が進められていた。茗渓に映える優美な姿が長く保たれるようになるのだろう。
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橋のLandscape 11

千代田区神田佐久間町 第一佐久間町高架橋
   総武線高架橋①
 千代田区神田佐久間町二丁目の路傍である。古代ローマの水道橋のように見えるのはJR総武線・第一佐久間町高架橋である。両国、御茶ノ水間の総武線は昭和7年に開通した。震災復興期に出現した鉄道立体都市である。首都直下地震に備えた耐震補強工事を進めるために下部にあった店舗が撤去されている。浅草橋方向へ歩いていくと・・・ 
  総武線高架橋②
 何ともわかりやすい落橋防止装置である。下手な小細工は弄しない潔さである。
  浅草橋駅③
 浅草橋駅のホームを支えるアーチである。ここでも耐震補強工事が進められている。
  原歯科④
 浅草橋駅にほど近い歯科医院である。昭和3年築の強固な建物である。
  原歯科⑤
 診察時間は石に彫り込んである。
  柳北公園⑥
 浅草橋駅北方にある柳北公園に隣接する蔵前小学校である。校舎は大正15年築。直接公園と連絡する校門がある。関東大震災からの復興計画で作られた52か所の小公園の1つである。平時は校庭の延長として、災害時は避難場所等として利用できるよう小学校とセットで計画された公園である。
  蓬莱園跡⑦
 柳北公園に隣接する都立忍岡高校の敷地の一角に蓬莱園跡の碑が建つ。かつてここには肥前平戸藩松浦家の上屋敷があり、小堀遠州が作庭した名園があったが、関東大震災で荒廃してしまった。
  蓬莱園跡⑧
 蓬莱園の大銀杏と池の一部が忍岡高校の校庭の隅に残っている。浅草寺伝法院庭園に台東区の文化財に指定されている石造多宝塔があるが、これは蓬莱園に石灯篭として据えられていたものであり、失われた名園の遺品として貴重なものである。
  浅草橋五丁目⑨
 浅草橋五丁目、清州通りの路傍である。昭和初期に建てられた旧日光商事のビルである。細部にまで入念な装飾が施されている。
  浅草橋駅⑩
 古レールを巧みに使った浅草橋駅から電車に乗り帰途についた。関東大震災の被害と復興に向けたデザイン、そして新たな首都直下型地震への備えが交錯する街であった。
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橋のLandscape 10

港区高輪 高輪橋架道橋
 高輪大木戸跡①
 港区高輪二丁目の路傍、欅の奥に見えるのは高輪大木戸跡である。
 高輪大木戸跡②
 旧東海道の両側に石垣を築いて大木戸が設けられたが、現在では海岸側の石垣だけが残されている。
 高輪橋架道橋①
 大木戸跡から品川方面に進み、左折すると、道路は緩やかなカーブを描きながら下がっていく。
 高輪橋架道橋②
 見ていると、山手線の列車が次々に通り過ぎていく。高輪橋架道橋である。その筋では有名な架道橋であるが、田町駅、品川駅間の新駅の建設によって姿を消すと聞いたので久し振りに訪れた。
 上の写真の中央右側のネットフェンス越しに眺めてみると・・・ 
 高輪橋架道橋③
 鯔の幼魚のイナが沢山泳いでいるのが見えた。海と繋がっているのだろう。もともと東海道線は海の中に敷設され、その後、線路と陸地の間の埋め立てが進んだが、その名残の水路であろう。
 高輪橋架道橋④
 かがまねば頭をぶつける、この低いガードは、個人タクシーの提灯マークがぶつかり壊れたという都市伝説が広まって「提灯殺しのガード」と呼ばれている。
 高輪橋架道橋⑤
 轟音をとどろかせて疾走する電車を間近に見ることができるこのガードも2020年までには姿を消す。また、東京の名所が消える。
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橋のLandscape 9

江東区亀戸 亀戸天神内太鼓橋亀戸天神①
 江東区亀戸三丁目、蔵前橋通りの路傍である。藤まつりの広告旗が並んでいる。藤の季節である。
亀戸天神②
 亀戸天神社の参道である。鳥居の向こう側に太鼓橋が見える。
亀戸天神③
 鳥居を過ぎて最初の橋である。男橋と呼ばれている。
亀戸天神④
 広重の江戸名所百景「亀戸天神境内」(部分)に描かれた太鼓橋である。橋の奥に藤を楽しむ人々が描かれている。江戸時代にも既に藤の名所であった。
亀戸天神⑤
 これは1880年に撮影された太鼓橋である(小学館刊、「百年前の日本」より)。現在の女橋の場所か。この橋の形が外国人カメラマンの興味を引いたのであろうか。写真の左奥には、今はない門のような建物が写っている。
亀戸天神⑥
 これは社殿の前の女橋である。水面に映り込み、円を描いている。
亀戸天神⑦
 これは江戸名所図会の「亀戸宰府天満宮」(部分)である。池の周りには藤棚が巡っている。中央に男橋に相当する太鼓橋はあるが、女橋の所には平橋が架かっている。うーん、古写真の橋はどちらだ。
亀戸天神⑧
 境内の国旗掲揚塔である。菅原公に因む和魂漢才である。独特のデザイン。昭和39年に東京オリンピックを記念して建てられたもの。
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橋のLandscape 8

台東区浅草 今戸橋今戸橋①
 台東区浅草七丁目の路傍である。今戸橋の親柱が残されている。後ろに見えるのは待乳山聖天宮である。新吉原の遊郭への水上路として遊客を乗せた多数の猪牙船が往来した山谷堀、その堀に架かっていた橋の跡である。
今戸橋②
 江戸名所図会の今戸橋(部分)である。左手に船宿が並び、猪牙船が繋がれている。 
今戸橋③
  山谷堀は埋め立てられ、区民が憩う公園となった。
今戸神社①
 台東区今戸一丁目の路傍、今戸神社である。猫招きの発祥地であり、近年は縁結びのパワースポットとして女性に大変な人気である。 
今戸神社②
 境内には良縁を願う絵馬が大量に掛けられている。その奥に石碑が見える。 
今戸神社③
 今戸橋開橋記念の碑である。大正15年に今戸橋開橋式祝賀会が設けたものである。今は役割を終えた今戸橋であるが、浅草と今戸を結ぶ橋の完成を喜ぶ地元の方々の気持ちが伝わる碑である。 
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