Landscapes by the roadside

路傍学会


青面金剛のLandscape 170

江戸川区新堀 勝曼寺
   勝曼寺①
 江戸川区新堀一丁目の路傍、勝曼寺の門前である。4年前に訪れた時には本堂の工事中であった。工事が完了して境内も落ち着いてきた。
  勝曼寺②
 本堂の手前、左に石仏群が祀られている。この中に2基の青面金剛がある。
  勝曼寺③
 彫りの深い、六臂の合掌像である。元禄年間の像らしく三猿は菱形パターン。花立ての陰になっているが、三猿の左右に二鶏が浮彫りされている。
  勝曼寺④
 上の像よりも百年以上新しい文化年間に作られたショケラを持つ剣人像である。よく見ると三眼である。
  勝曼寺⑤
 しっかりと踏みつけられた邪鬼はなぜ、左手で顎を押さえているのか。不聞猿は何を叫んでいるのか。
  勝曼寺⑥
 参詣者を優しく迎えて下さる地蔵尊である。
  勝曼寺⑦
 手水鉢の吐水口である。石灰が付着したのか、不思議な色彩を帯びていた。
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  2. 青面金剛
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神社のLandscape 143

千代田区岩本町 繁栄於玉稲荷大明神
   於玉稲荷①
 千代田区岩本町二丁目の路傍である。赤い幟が見える。
  於玉稲荷②
 繁栄於玉稲荷大明神である。この辺りには、江戸初期、不忍池よりも大きな「お玉が池」と呼ばれた池があった。池は元々桜が池と呼ばれていたが、池の畔にあった茶屋のお玉という女性が身を投げたとの故事からお玉が池と呼ばれるようになった。
  於玉稲荷③
 江戸名所図会に描かれたお玉である。優劣つけ難い二人の若者と心を通わせ、悩んだ末に池に身を投げたという。
  於玉稲荷④
 お玉が池は江戸の繁栄とともに埋め立てられ、跡形もない。社殿の右横には末社の弁財天が祀られている。この末社の前に金魚が泳ぐ小さな池がある。お玉が池を偲ぶよすがか。
  於玉稲荷⑤
 池が無くなってもなお、お玉が池の名前は長く使われている。お玉が池種痘所跡である。安政の時代に蘭学者が資金を出し合って種痘所を作ったところである。
  於玉稲荷⑥
 近くにある児童遊園にもお玉が池の名が冠せられている。神田お玉が池界隈の解説板もあった。
  於玉稲荷⑦
 坂本龍馬も通った「北辰一刀流」の道場もここにあった。千葉周作はお玉が池の先生と呼ばれていたという。
  於玉稲荷⑧
 会社の駐車場にもお玉が池の名が。
  於玉稲荷⑨
 岩本町二丁目にある銭湯の看板である。この路地を入ると「お玉湯」がある。
  於玉稲荷⑩
 繁栄於玉稲荷大明神は安政の大地震で焼失し、分社があった葛飾区新小岩の於玉稲荷神社へ本社を遷座した。新小岩四丁目の於玉稲荷神社である。この写真は4年前に撮影したものだが、社殿の朱が鮮やかである。
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  2. 神社
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国旗掲揚塔のLandscape 36

大田区蒲田 稗田神社
   稗田神社①
 大田区蒲田三丁目の路傍、稗田神社の鳥居が見える。稗田神社は延喜式に記載されている古社である。
  稗田神社②
 寛政年間に北蒲田村の氏子によって寄進された石鳥居をくぐり境内に入ると献木十本の石柱がある。堂々たるスダジイである。境内は掃き清められ、根が浮き出ている。匿名の婦人が昭和39年に献木したものである。
  稗田神社③
 社殿の脇に国旗掲揚塔がある。特に文字は彫られてはいない、凛とした塔である。
  稗田神社④
 裏面に奉納者の名前が控えめに彫ってあるだけである。機能的な無駄の無い構造である。平成13年の奉納。
  稗田神社⑤
 末社前の手水鉢である。
  稗田神社⑥
 清浄な水が湛えられ、メダカが泳いでいた。
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  2. 国旗掲揚塔
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橋のLandscape 12

千代田区神田淡路町 昌平橋
  昌平橋①
 千代田区神田淡路町と外神田を結ぶ昌平橋から見た風景である。画面中央の八の字の構造物は、昭和7年に開通した総武線の神田川橋梁を支えている橋脚である。画面左の飲食店は、明治41年に開業し、明治45年の万世橋駅開業に伴い廃止された昌平橋駅跡を利用したものである。
  昌平橋②
 名所江戸百景「昌平橋聖堂神田川」(部分)である。昌平橋から見た湯島聖堂である。上の写真の鉄橋の橋脚の間には家が建ち並んでおり聖堂を見ることはできない。昌平橋は元の名前が相生橋であったが、孔子の生まれ故郷の昌平郷に因んで昌平橋と呼ぶようになったという。
  昌平橋③
 昌平坂を登ると江戸名所百景に描かれている聖堂の練塀が見えてくる。
  昌平橋④
 昌平坂に立ち並ぶ建物の中に淡路亭がある。ビリヤードの聖地とも言うべきところだ。坂道側から見ると2階建てだが、神田川側からみると3階建てに見える。
  昌平橋⑤
 古いヘルメットのような電力量計カバーを見よ。この会社の歴史がしみ込んでいる。
  昌平橋⑦
  坂の途中に建っている昌平坂の碑である。
  昌平橋⑥
 聖橋では東京都の手によって長寿命化の工事が進められていた。茗渓に映える優美な姿が長く保たれるようになるのだろう。
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青面金剛のLandscape 169

大田区西蒲田 蓮花寺・妙成寺
 今号は、大田区西蒲田六丁目界隈にある青面金剛の報告である。
  蓮華寺①
 まず、大田区西蒲田七丁目の路傍、蓮花寺の山門である。
  蓮華寺②
 山門の左手前に石仏群があり、その中に青面金剛が祀られている。
  蓮華寺③
 彫りの深い、ショケラ持ちの六臂像である。剣人だと思うが、剣と剣を持つ手が失われている。三猿は彫り込まれた形である。享保年間の作。
  蓮沼熊野神社④
 隣接している蓮沼熊野神社の参道脇には力石があった。蓮沼の文字が読み取れる。
  蓮沼熊野神社⑤
 山門前の商店会の街路灯である。商店街灯には実に様々デザインがあるが、これはかなりごつい部類に入るのではないか。
  妙成寺⑥
 こちらも西蒲田六丁目の路傍、妙成寺である。
  妙成寺⑦
 墓地の入口前に庚申堂がある。堂内に青面金剛が祀られている。
  妙成寺⑧
 端正な六臂の合掌像である。元禄年間の作。
  妙成寺⑨
 コンクリート製の台石には別の三猿がいる。三猿の足元には穴が開いている。この穴は何だ。ここに三猿がいる意味は何だろう。路傍学会の興味は尽きない。
  妙成寺⑩
 庚申堂前の藤棚には藤の豆が沢山なっていた。この豆を見るといつも思うことだが、この大粒の豆は食べることができないのだろうか。食べ応えのある豆だと思うが。まあ、食べたという人の声も聞いたことはないのだが・・・ 
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  2. 青面金剛
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塚のLandscape 56

大田区西蒲田 女塚神社
   女塚神社①
 大田区西蒲田六丁目の路傍、女塚神社である。
  女塚神社②
 鳥居をくぐり、境内に入ると、愛子内親王殿下御誕生記念の国旗掲揚塔の先、一段高くなった塚上に小社が置かれている。女塚霊神の塚である。
  女塚神社③
 傍らにある「女塚古墳の由緒」碑である。新田義興憤死のおり、侍女であった少将局が忠節を尽くしてともに害せられたのを村民が憐れみ、この地に祀ったという。この塚は八幡社が遷座する以前から村民の崇敬の厚い聖地であり、この辺りは昭和42年までは女塚と呼ばれていた。
  女塚神社④
 社前の手水鉢である。寛政年間に奉納されたもの。明治時代に八幡神社が鉄道建設の為にここに遷座し、女塚神社と呼ばれる以前に奉納されたものである。
  女塚神社⑤
 社にはこんな札が掛けてある。新田義興への少将局の愛か。
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神社のLandscape 142

大田区大森北 大森鷲神社
   大森鷲神社①
 大田区大森北一丁目の路傍、大森鷲神社である。昭和29年に建立された鳥居をくぐり社殿に向かう。
  大森鷲神社②
 社殿の屋根で黄金色に輝くのは大黒天か。
  大森鷲神社③
 参拝を終えて脇参道に向かうと右手のピンクの自転車の後ろに小祠が見えた。
  大森鷲神社④
 ぐるっと回って見ると、緑の屋根の小祠の中に石仏が納められている。
  大森鷲神社⑤
 剣を持つ六臂の青面金剛である。紀銘年は不明であるが、彫り方からみて新しい現代の像であろう。
  大森鷲神社⑦
   祠の蟇股には絶対に喋るものかと、必死に口を押えている不言猿がいた。
  大森鷲神社⑥
 神楽殿の背面である。義理と人情が欠かせないのである。
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  2. 神社
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塚のLandscape 55

八王子市台町 富士浅間神社
   富士浅間神社①
 八王子市台町二丁目、八王子市で最も古い公園である冨士森公園の園路の奥に鳥居と社が見える。
  富士浅間神社②
 富士浅間神社である。拝殿前の手水鉢は明治29年に奉納されたものである。
  富士浅間神社③
 拝殿の後ろに大久保長安が築いた富士塚がある。現地の説明板によると高さ約二丈、周囲60間余という。元々はこの富士塚だけが浅間神社であったが、後に払い下げられた大正殿を拝殿としたという。このため拝殿と本殿の間に鳥居がある珍しい配置となっている。
  富士浅間神社④
 本殿への石段は危険なため立入禁止である。残念。
  富士浅間神社⑤
 反対側に回って見た富士塚である。頂上にある石祠は覆屋に守られている。裾が広く、堂々たる塚である。
  富士浅間神社⑥
 末社の稲荷社である。かみなり三代が供えられている。今年の1月18日号で報告した江戸川区の西葛西八幡神社の稲荷社でも同じ酒が供えられていた。ひょっとして狐様がお好きな酒なのか。
  八王子緑化フェア⑦
 隣の冨士森公園では第34回全国都市緑化はちおうじフェアが開催されていた。八王子市制100周年記念の中心事業として催されているものである。
  八王子緑化フェア⑧
 緑豊かな潤いのある街づくりを目的としたイベントである。
  八王子緑化フェア⑨
 色々なガーデンが提案されていた。10月15日まで開催中。
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門のLandscape 34

越谷市蒲生本町 清蔵院
   清蔵院①
 越谷市蒲生本町、茶屋通りの路傍である。清蔵院の本堂が見える。
   清蔵院②
 茶屋通りに入り、入口に向かう。冠木門である。
  清蔵院③
 冠木門をくぐると山門が見えてくる。
  清蔵院④
 龍に金網がかぶせてある。この龍は、巷間では左甚五郎の作といわれている。夜な夜な門を抜け出して付近の畑を荒らすことから閉じ込められてしまったのである。この山門は越谷市指定有形文化財。
  清蔵院⑤
 大師堂の前にある石仏である。どのような意味があるのだろうか。地獄から衆生を救う地蔵尊なのか。
  清蔵院⑥
 山門にはこのような貼紙がある。最近このような紙を貼る寺社が増えている。
  清蔵院⑦
 冠木門近くにある工務店の看板である。Good sense ! 
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神社のLandscape 141

台東区松が谷 矢先稲荷神社
   矢先稲荷神社①
 台東区松が谷二丁目の路傍、矢先稲荷神社である。寛永年間に幕府はこの地に三十三間堂を建て、通し矢が行われた。その守護神として稲荷大明神を勧請したが、その場所が通し矢の的の先に当たることから矢先神社と名付けられた。
  矢先稲荷神社②
 昭和37年に建てられた鳥居に掛かる扁額は陶製である。縁には通し矢に因み矢羽根模様が描かれている。大変美しい扁額である。陶製の扁額は佃島の住吉神社に次いで2例目の報告となる。元禄の大火で三十三間堂は焼失し、2014517日号で報告した江東区富岡へ移転したが、この神社は産土神として当地で再建された。
  矢先稲荷神社③
 自然石をくり抜き、溶岩をあしらった手水鉢は昭和28年に地元のラジオ体操会が奉納したものである。
  矢先稲荷神社④
 拝殿の格天井には「日本馬乗史」を描いた100枚の絵がある。
  矢先稲荷神社⑤
 拝見させていただいた。一人の画家が5年がかりで描き、奉納したものである。
  矢先稲荷神社⑥
 この軍配を振う武将は武田信玄か、とすると、右は上杉謙信だろうか。うーむ。路傍学会の興味は尽きない。
  矢先稲荷神社⑦
 参拝を終えて振り返るとスカイツリーがすくっと建っていた。
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